研修の成果
夏休み。
普段の忙しさから解放されて、充電期間。
ついでにいろんな研修を受けてきました。
そんな、研修では様々な講師のかたがいた。
ユーモアがあり引き付けるような話をする人、固い感じの話しだけど内容で引き付ける人、配布資料と講演内容が一致しない人、喋っている内容が自慢話な人、文科省の答申をコピペした資料でそれを読み上げるだけの人……
と、色々だったのだけれどいくつか気づかせてもらった。
まずは、講演(我々の場合は授業)は「内容」と「プレゼン」ということ。
この両方がハイレベルなときに「良い講演」となるのだろう。
内容がよくてもプレゼンが下手な場合、聞く側のモチベーションやら、理解力やら、そんなハードルがあり「内容のよさ」が伝わりにくい。
プレゼンが上手くて、受講者を楽しませても中身がなければ後に残るものはない。
ただ、内容に関しては「よく知っている人」が聞く場合にシビアに求められ、プレゼンに関しては「聞く側にモチベーションがない」場合にシビアに求められる。
あと、資料の使い方。
資料にないことをしゃべる方がいて「資料通りやってくれ」と思ったけど、資料を棒読みされても「講義を聞く必要ないじゃん」と思った。
基本、資料に沿った内容でしゃべり、資料にないことは補足説明、が大事だと思った。
スキルとして、ちょっと脱線して資料と関係ないことを喋るのは重要だと思うけど、脱線してるのか本線なのかわからなくなるような話はダメ。
てな感じで「講義を仕事」として働いていると、自分が受ける際には厳しめに見てしまうけど、こうやって考える機会になったこと自体が講義を受けた成果だと思う。
「で、何が言いたいの?」とか「ほんと、時間の無駄!」と何度か思ったけど(笑)
まぁ、そんななかでも内容として深く考えさせられた講演もあって、ちょっとは成長したかな?と思える夏休みとなった。
コペルニクス的
最近気がついたこと。
私は「教員は生徒対応と授業でなんぼ」と思ってて、いろんな書類作成やら校内の雑務やらは付属品だと思っている。
「茶番センサーを切り、茶番に全力投球しよう」的なことが最近読んだ本で書いてあった。
そして、そんな茶番に全力投球できる人間が組織で必要とされるのだと。
だから、理不尽なルールになれてる体育会系が重宝されるそうな。
読みながら共感していたんだけれど、私は付属品と思ってる仕事は「茶番だ」と思ってるということに気がついた。
報告書類とか全然適当でいいと思ってる。
右詰めで半角スペースを入れるとか入れないとか、ほんとどうでもいいと思ってる。
けれども、そうでない人々もいて、そんな人たちはある意味で「茶番に全力投球出来る人」かもしれない。
けれども、書類に全力投球出来る人は生徒対応に全力投球出来ない人が多い気がする。
これって人間のキャパシティーの問題で、何かに全力投球すると他が疎かになるのは当然のことかな?
生徒対応があんまり出来ない人が、自身の得意の分野に力をいれ書類仕事に注力するようになるのか?
その辺のことはよくわからないけど、あんだけ書類嫌だ嫌だと言っていたけど、私も茶番スイッチをオンにしたら書類仕事にもうちょい前向きに取り組めそうな気がする。
と、なると生徒対応が二の次になり、頭の固い教員にもなれそうな気がする。
それまで茶番だと思っていたことが実は本質で、本質だと思っていたことが実は茶番だったという、コペルニクス的転換が今起こっているのか!?
「組織で働くこと」の本質は「どれだけ茶番と思われようとも組織で必要とされることを実行する」ということなんだろうな。
まぁ、そもそも私のような凡人の人生なんてそもそも茶番だと思っているので、どんな茶番劇に出演するかは自由だし、茶番劇に参加しないのも自由だ。
孤独な人
先日の放課後17時頃……ゴンゴンゴンと職員室のドアを叩く音。
ドアを開けると、そこには三角に目がつり上がって今にも殴りかかりそうな形相のおじさんがいた。
「進路指導している教員を出せ」「俺はここのOBだ。進学先がめちゃくちゃになってええんか?」……と。
ここであとは管理職にお任せw
どうやら本校の生徒の下校マナーがなっていなかったらしいので、お怒りのようだ。
……と、思っていたら生徒指導部長が一言。
「あのひと一年前にも来たねー。言ってることもおんなしやったし」
そんな私はクレーマーおじさんから孤独感を感じた。
もし、口を聞いてもらえる相手がいたのなら、わざわざ学校まで出ていって鬱憤を晴らす必要はないだろう。
あの程度の愚痴を言う相手がいない……深い孤独の深淵を垣間見たような気がした。
他にも不登校の生徒で友人関係が上手い生徒はあまりいない。
だいたいがクラスでういてしまい、ひとりぼっちの時間が長くなる。そしてさらに学校に来づらくなる……
孤独は人々の人生に負の影響を与えることが多そうだ。
人は本能的に孤独を恐れているのだろうか。
孤独によって引き起こされたと思われる凶悪犯罪も起こっている。
ひょっとしたら学校で最も学ばせないといけないことは「人間関係の作り方」かもしれない。
孤独な生き方をしなくてもよいように。
一線越えた
越えてはならない境界線。
一人の人として、そして一教員として、越えてはならない境界線。
そんな境界線を越えてしまいました。
ついつい、うっかりなどと言い訳をしても、二度と取り返しのつかない「向こう側」へ。
悔やんでも、悔やみきれない、愚かな過ち……
はいきたー(゚∀゚)━!
5月の残業時間が過労死ライン越えましたー。
最近は過労死ラインは回避する優等生でしたが、5月は部活の絡みもありで越えちゃいました。
疲労が蓄積されて、仕事中ボーッとしてしまう、やる気がわかない、朝起きれない……などなど、ちょっと危ない感じ。
そんなこんなで風邪も引いてしまったし。
一線越えた代償は大きかった。
もう、若くてピチピチでもないんだから、身体がついていかんようです。
地雷原
職場にて。
一死、一二塁、ショートへのゴロをトンネルから球を拾ったレフトが本塁へ悪送球。
痛恨のダブルエラーでランナー二者生還……
みたいな状態でした。
ショートのエラーはよくあるので、想定内でしたが新人のレフトがまさかの悪送球w
その後、レフトに話を聞くと「エラーしたショートが悪いんだろーが!」と、全く自身が悪いと思っていない様子。
よろしくない結果が出たときに、「自分は全く悪くない」という人間を相手にするのはほんと疲れた。
てな感じなので、ショートだけが地雷原だったと思っていたのだけれど、この調子だとレフトも地雷原かもしれん。
まさか、あんなところに地雷が埋まっているとは思ってなかったなー。
ブラック 砂糖あり
先日、私が教員とは知らない知人との会話。
知人「ゴールデンウィークはどこかにお出掛けですか?」
私「ゴールデンウィークは全部仕事なんです」
知人「あっ、他人が休んでるときには休めない仕事ですかー」
私「まあ、みんなが働いているときも休めないんですけどねー」
知人「いやー、それはそれは。でも、残業代とかでお金は貯まりますねー」
私「いや、基本サービス残業で、残業代出ないんで貯まんないんですよー」
知人「うわー、ブラックですねー」
私「いやー、ほんとブラックなんですよー」
残業代がない上に、残業時間が過労死ラインを越えるとか、お手本になるくらいにブラック過ぎるのだけれど給料はまあまあ貰っている。
よって、ブラックではあるけれども、砂糖あり。
あなたの隣に
最近、気付いたことがある。
我が部の部活動の生徒の一人がサイコパスっぽい。
去年から知っているけども、最近になってようやく気が付いた。
その生徒の特徴。
①非常に利己的な思考
こっちが「えぇ!?、何でそうなる!?」みたいな感じで、自分の都合のいいような強引に見える思考。
平気で?簡単にばれるような嘘をつく。嘘をついているという自覚すらなさそうだ。
「自分は○○をしっかりやっている。ちゃんとやっていない奴らはダメだ」→他人から見たら「いやいや君はそれ以外やってないですから」
また、自身の結果が悪かったときなどは必ず外部のせいにする。恐らく合理化しているのだろうけど、しょっちゅうの事らしく一部の部員は「はいきたー」とネタ化している。
②他者に対する共感性のなさ
会話をしていて、「そうだねー」という言葉は辞書にはない。会話が「共感しつつ同じ方向を見る」ことはなく、「会話相手と正面から向かい合う」というものになるので、会話の返しが常に自身の意見を言う形となる。
会話をしていて「相づち」を打つことはない。
③他者に対する攻撃性の高さ
人の揚げ足をとるように「○○ができんなんてダメやろ」と、よく直接他の部員に言っている。
だいたい他人のことを言う時は欠点を指摘するような発言となる。
もちろん、矛先はこちらにも向かってくるので適当にいなしてあげる必要がある。
また、言われても反撃しなさそうな後輩を早速見つけたようで、ちょっといじっていた。こういうのは本能的に見つけるのだろうな。
先輩に対してもおまえ呼ばわりしていたので、他者に対する尊敬などもないのだろう。あるのは、上か下かの世界なのだろうな。
④他者に対する高い操作性
これは非常に上手いと言うか、不思議に他の部員が従ってしまう。
命令口調で言う+的確な話し方 によるもののような気がするけど、他の部員がついつい従うことが多くなる。
面白いことに動かされた側の部員に「従わされた感じ」があるようであるが、「拒否する」という空気を読めないことをしない部員が従っている。拒否すると攻撃性が発揮されそうで、拒否する部員がいなくなっているのかも。
以上、これはサイコパスでしょう。
だからと言ってどうこうではないし、凶悪な犯罪をおかすサイコパスもいるけど、ほとんどが犯罪を犯さないサイコパスでしょう。
人口の数パーセントはサイコパスらしいので、そんなに珍しいことでもないし。
他者に対する共感性のなさはアスペルガーと一緒であるが、もっとアスペルガーは不器用だと思う。
アスペルガーは不器用で、他人を操作したりできない事が多そうだし、そんなに利己的ではない気がする。
他者への攻撃性や、自己中心性は「他者が見えないこと」が起源のような気がする。
一方、サイコパス(これもスペクトルで明確な線引きはないのだろうけど)は器用で、不器用さからくる攻撃性や自己中心性ではなく、もともとある攻撃性や自己中心性を形に出来るような気がする。
他者に対する理解力というか、観察は無意識に行っており、非共感的理解力はありそうだ。
自分が嫌われていない(比較的先輩には嫌われていない)という、表情などのノンバーバルなものを汲み取る能力もありそうだ。
ちょっと苦手だったけど、その生徒に対して興味が湧いてきて、最近は観察している。
他者に対して命令口調な部分を逆手にとって、こちらが理屈で命令口調で言うとどうなるか試してみたけど結構すんなり従った。
上下の関係の世界で生きている人間は「上の人間」(正しそうな理屈をつけていた私の側を上と認識したっぽい)の命令には逆らわんのだろうな。
同級生には激烈に嫌われている。
そりゃあ同級生なのに上から目線で攻撃的なことを言ってくる人間は嫌だろう。
まあ、この生徒がこれからどうなるかわからないけど、後輩もできてちょっとは丸くなった気がしているので(もちろん、攻撃性や操作性もばっちり発揮していますが)、今後もどうなるか楽しみだ。
映画やドラマのなかの話だと思っていたサイコパスがこんなにも身近にいたなんて、なんか新鮮。
近所に嫌がらせばかりする住人とか、モンスタークレーマーなんかもサイコパスが多そうだなあ。
ほんと、相づちを全く打たないあたりは「気持ち」とか「思いやり」とかとは異次元の世界に生きているように感じる。
本当に本能的な?脳の器質障害なんだろうなー。