TkMdの日記

忙しさに流されない日々のために。某教員のブログ。

人を育てる

年度も代わり、新たな若手が職場にも入ってくる。

そして、私と一緒に仕事をする立場にも入ってきて、顔合わせをした。



黒のリクルートスーツを来たその人は非常に優秀(少なくとも勉強では私はとうてい敵わない)で、しかも人の良い人物だった。




上から目線でおこがましいと思うが、「上手く育ててあげたい」と思った。




歳をとるだけで給料が上がる世界のせいか、年少者を相手にする仕事のせいか、「『歳をとっている自分』は偉い」という方もいる。

そんな人は「大変な仕事は若手にやらせとけ」というスタンスだったりする。
もちろん、次の台詞の「俺たちの若い頃は……」は、ハンバーガーとポテトのような関係だ(よくセットになるということで)。

と、なると「できる若手」にどんどん仕事を押し付けるのが当たり前のような空気ができたりする。

特に今の職場はそれは強く感じる。

残業量も多いのに「働いてもらわんと困る」と言われることもある。

そして、そんな中で潰れていき教職を去る若手もいる。





そんな、「若手を使い捨てる学校」で「人を育てる」など……

「大人を育てることが出来ない場所」に「生徒を育てること」が出来るのだろうか。

「大人は仕事だから違う」という意見もあると思うが、「若手を育てる」ことは「生徒を育てる人を育てる」ことなので、最終的に「生徒を育てること」となる。


ちなみに「何をもって育てると言っているのか?」は聞かないでください。
よくわかってませんので(笑)



という訳で、あの若手の面倒はみてあげたいと思った。

とは言っても、潰れないように溜まった愚痴を聞いてあげるくらいしか出来ることはないでしょうけど。

「人を育てる」など、大きなことを並べましたが、
「単にその若手が好きなだけ」かも。
(恋愛対象ではないですよ。念のため)



ただ、こんなことを考えるようになったとは、私も年齢や経験を重ねてきているようです。

若いつもりなんですけどねー。

ブラック部活

先日、テレビのニュースでやっていた、「ブラック部活問題」。

拘束時間が長く、土日も休みなし。

しかも、ほぼ手当てなし。
特に平日は「残業代」がないので全くの無給。


といったことだが、ニュースで取り上げられるくらいになるには、あと5年くらいかかると思っていたので驚いた。

そんな話を知人としていたが、「ネットで盛り上がってるよ」と言われた。
その知人は部活が「時間外の部活が教員の業務内容にない」ことも知っていた。

意外とご存知なのね……



自分自身、部活で育ててもらったし、やってあげたい。

が、給料なし、教える技術なし(運動部顧問の半数が未経験らしい)、なのに「管理責任は問われる」という状況。

……なんか、おかしくない!?

やるならやる分、給料を出してもらう。
もちろん、こちらも授業と同じく研修しスキルアップする。

やらないならやらないで、放課後は地域に学校施設を開放して、地域のスポーツクラブでやればいい。


法律的には義務ではなく、「生徒の自主的な活動」ですが、実質的には現場じゃ「業務命令」に限りなく近いですからね。

ついでに、業務となってしまえば「部活動での体罰」は間違いなく減るでしょう。
さらに処分が厳しくなりますからね。



特に最近は保護者対応やら生徒対応が難しく、時間と労力を払わざるを得ないことも多くなっている。

夜の10時に「訴えるぞ‼」と電話越しに恐喝めいたお話をされたこともある。
(と、言われた方が実際に訴えることはなかったが。こちらに非はなかったし。)

というなかで、「昔とは違う」ので、部活の扱いも変えてもらえませんかね?





あと5年くらいすれば、扱いも変化するだろうか……

人は流れて……

私は怖い先生ではなく、優しい先生と言われ、生徒に好かれやすい(と思っている)。

が、単に甘くて流されているだけとも言える部分もある。


……と、痛感する出来事があった。

生徒のことを「わかったつもり」になって、なあなあで、流れ流されている点があった。

というか、「わかったつもり」になって、生徒と向き合うことから逃げていた。

そこを他の先生がバシッとやってくれた。



情けないなぁ。

「いいことをやっている」とまではいかないが、「最善のことをやろう」と思っている。

が、それに自分のエゴが入ってきて、いつのまにやらな~んもしていなくて、自己満足しようとしているだけ。

まだまだだなぁ。



ま、そんな私の状況をフォローしてくれる同僚がいるので、こちらも安心して「優しい先生」を演じることが出来ている。

そういう意味ではしっかりとチームが機能しているということでしょう。



か、やっぱ情けないなぁ。

しっかりと生徒と向き合える教員となりたい。

最近、ちょっとサボってたしなぁ。。。

揺らいでいるのは……

生徒が揺らいでいる……の続き。

生徒のゆらぎに関しては私だけではなく、他の同僚も感じているようだった。


なぜか。

一因がわかった気がする。

教員が揺らいでいるのだ。

同僚の「最近、落ち着かんよね」との一言で、繋がった気がする。



落ち着かない教員集団は、生徒を安心させるのは難しいでしょう。

ただでさえ十代の揺れ動きやすい時期で、対応するのは簡単ではない。



落ち着けない職場環境は働いている側としてもきつい。

が、大人は別にいいとして、そんな学校に入ってしまった生徒たちに申し訳ない。


教員が落ち着けないのは諸々の「大人側の事情」のお陰なので、私のような下っ端ではどうしようもない。

管理職をはじめ「上の方々」に動いてもらうしかない。


役割分担というか、「安心を作る階層構造」という感じ。

私のような下っ端は生徒の安心を作る。

上の方々は現場の教員の安心を作る。

……かな。


が、これをあんまり言い過ぎると、
管理職の安心は教育委員会が作り、教育委員会の安心は文科省が作り、文科省の安心は内閣(?)がつくり、内閣の安心は総理大臣が作り、総理大臣の安心は……

みたいになってしまうので、言い過ぎもまずいですが。

ゆらぎ

最近、生徒が揺らいでいるような、そんな感じがする。

具体的に何かがあったとか、個人個人の何かが重なったとかではない。

具体的ではない、漠然とした不安。

そんなものに動揺し、揺れている感じがするのだ。

不安で揺れ、頼れる、信じられる「何か」を探しているような気がする。


もちろん、そうでない生徒もいる。

が、全体として揺らいでいる。


もちろん、そんな状況ではなかなか勉強に身は入らない。



学校で安心できる。

安心はただではない。



授業の内容がどうこうなど、二の次のことで、生徒が安心して過ごせるような場所を作ること。

それが今、必要とされている。

そんな気がした。



こんなことを感じたのは初めてのことだ。

教員として成長し、気づくことが出来るようになったのか、それほど生徒が揺らいでいるのか。

単に時期的にそうなりやすい時期かもしれない。

わからない。

たまたま「将来が不安なんです」と生徒が相談しにきただけかもしれない。

が、どうもねぇ。。。

気のせいとは思えないのです。



明日から、普段より時間をかけて生徒と接してみよう。

気のせいだといいんだが……

信頼

先日、「学校って生徒に信頼されてないんだ」と感じるやりとりがあった。

 

私自身としては信頼を損なうようなことには気を使っている。

信頼している教員が言うことと、信頼していない教員が言うことでは結果が違ってくる。

「信頼され具合」で授業の効果も上がると思っている。

 

ただ、職場の全教員を見ると、信頼してもらえないようなこともやっていたりする。

そして、私の考え、感じていることが「絶対に正解」という訳でもない。

なので、しょうがないともいえるが、「学校」として見られるので、ふだんあれだけ気を使って労力を払っているのに…などと思ってしまった。

 

もちろん、ある人から見たら私が信用を失うようなことをやっていると見えるかもしれないですが。

 

ただ、今気づいたが私は「正論を言うこと」より「信頼されること」を大事と考えているようだ。

生徒に対して「正論を伝えること」は大事。

だが、いくら「正しいことを言って」も届かなけれ意味がない。

 

「正論」だけでいけるのなら、生活習慣病やら、薬物依存やら、人種差別やら、地域紛争やら、なんやらかんやらの問題は解決!!

世界は平和に…なるはずなんですけど。

 

などと考えるひねくれ者なので、「正しいことばかり言っている人」よりかは「信頼される人」となった方が「何か」が生徒に届く気がする。

 

一番は「正論で行動できる人間がどうすれば育つか」が分かればいいんですけど。

ま、正論ばかりで生きていない、ひねくれた私なんぞには無理な気がします。

 

 

しかしまあ、正論ばっかりなんて息が詰まって死んでしまうなー

変われぬ理由

知り合いの教員の方に聞いた話。

 

ある公立高校でのこと。

 

その学校は10年ほど前までは進学校として、それなりの実績を上げていたとのこと。

 

が、近年人気がなくなり、その結果定員割れを起こすようになった。

入学生徒の学力も下がり、進学実績や生徒の質は坂を下るように落ちていったらしい。

 

しかし、である。

校内の体制は昔の「進学実績がどんどんでていた時と同じ状態」を想定しているらしい。

で、どうなったか。

現場の教員は生徒の現状に合わないことをせざるを得なくなり、負担が大きいそうだ。また、生徒も現状に合わないことをやらされる羽目となり、厳しい思いをする生徒も多い。

その結果、転勤希望の教員が大勢出ているそうだ。

 

 

 

なぜ『現状に合ったこと』ができないのか?

簡単そうで、実はなかな根が深そうなことだった。

 

 

その学校の主任クラスの、いわば「学校を引っ張っていく人々」はベテランである。

そして、そんなベテランたちは長く学校にいる人が多い。

つまり、「昔の良かった時」を知っている人々が学校を引っ張っていく立場にある。

 

すると、どうなるか。

 

「やり方を変える」のが「今までのやり方を否定すること」となってしまう。

今までの、「自分の地位を築いてきたやりかた」を否定して新しいやり方はできない。

新しく変えると良いことばかりではない。

今まで上手くいっていたことができなくなることもある。

と、なると「変えるという発想がない」のか「リスクを回避し、現状維持」なのかわからないが、変わらないまま流れていく…

 

と、いうことらしい。

 

「過去の成功を捨てるのは難しい」ということと、「保守的な公務員体質」の合わせ技といったところでしょうか。

教員も、生徒もどちらにもメリットのないLose-Loseの関係。

 

 

若乃花親方(若貴兄弟の弟のほうです)が入門する弟子を見ている実感として「5年ごとにサイクルがある」と言っていた。

 

私自身、最近なかなか「いい授業」ができていない気がする。

自分の過去とか立場とか,不要なものはしっかりと捨てて、目の前の生徒としっかり向き合っていきたい。

 

と、いうより意識して努めていないと凝り固まった教員になってしまいそうだ。