相乗効果
生徒から同僚の授業の情報が入ってくることがある。
こちらとしてはあまり理解できない内容であった。
普段の私に対する様子などからあまりピンとこなかった。
が、先日たまたま雑談をしていて理解できました。
要は「授業に対してやる気が無くなっている」という事のようだった。
もちろんその方は、担任や授業で必要なこと、校務もこなしている。
が、やる気のない部分が生徒に対する言動の端々として現れているようだった。
何故「やる気がないのか」。
「生徒が勉強出来ない」「やる気がない」事を嘆いていた。
そして、やる気のない生徒の相手をしながら、自身もやる気を失ってきているようだった。
そして、やる気のない教員の授業によってやる気のない生徒が増えていく。
そんな負のスパイラル。
今の同僚を見渡してみると、そのような状況の方々も案外多いのかもしれない。
こうやって形にしてみると、なかなか耳(目か?)が痛いなぁ。
他人批判はどんどん出来ますが、自分もそんなに……な気がします。
ただ、少しでもやる気のある生徒の、米粒ほどのやる気でも、水をやり、肥料をやり、育ててあげたいものです。
やる気なんてない。
先日のこと。
同僚が課題の出ていない生徒に対して
「やる気はあるのかね!?」
と、言っていました。
いや、「そんなもんないでしょ!?」
と、思ってしまうひねくれた私。
その生徒は勉強は苦手だ。
授業でも寝てしまうことがある(私の授業だけか!?)。
ま、そんな状態でやる気なんぞ湧いてないでしょ。
「やる気」とは「出来ることに対して生じるもの」と言う人がいたが、実にその通りだと日々感じている。
な、の、で、勉強が出来ない生徒は、勉強に対するやる気がわかないことが多い。
話はそれるが、「やる気ないです」とは言えんし、かと言ってないもんはないし、ダブルバインド状態であれはまずいよな……と、思いながら見てましたが……
元にもどって、子供の立場からしたら勉強は好む好まざるを関係なしに「やらされること」という面がある。
「学校の教科全てが好きでした‼」みたいな人は少ないはずである。
訳もわからない、好きでもない、出来ないことをやらされて、そりゃやる気なんぞ湧くわけないよな……と、思うことも多々ある。
そういった状況で「やる気にさせる」のが、教員の仕事でもある。
が、私自身の課題というか知りたいのは、上記のような状態の生徒でも
「授業はよくわからないけど、やらないといけない」
と、取り組める生徒と
「訳もわからんし、やらんとこう」
と、投げてしまう生徒の「差」である。
卒業したあとの生徒の人生を考えると
「やりたくないけど、やらないといけないこと」
は避けて通れない。
もちろん、勉強のできる、できない は大事だと思う。
が、それ以上に
「やりたくないけど、やらないといけないことが
やれる能力」
の方が大事だと思う。
もちろん、職場の上司なり、種々の法律なりでやらざるを得ない状態に追い込んでもらえることも多い。
が、外部から圧力が加わらなくとも、「やるべきこと」って案外多いような気がするのです。
学校の勉強に関しては、こちらが圧力をかけることも時には必要でしょう。
が、そういった外部圧力による勉強はあまり身に付いていかない。
これを実感している方は多いのではないかと思います。
私は大学生の頃はいろいろな「やるべきこと」から逃げてどうにか立ち回っていたような気がします。
年を取り、少しずつ「やるべきこと」ができるようになってきた気がします。
そんな気はしていますが、「ではどうすればできる人間になれるのか」はよく分かりません。
体よく言うならば
「人間的に成長した」
なんでしょうが、自分自身を含め周囲の人々を見渡すと、「年を取る」ことと「人間的に成長する」ことはイコールではない。
ただ、「やるべきことができる人」は「変わっていける人」だと思います。
そして、「変わっていける人」は「成長していける人」だと思います。
記事を書きながら気づいたのですが、「やるべきことができる」ということは「成長していける」ということで、「成長している」ということは、
「やるべきことができる」ということに繋がってくる。
つまり、良い循環に乗れた者と、そうでない者とで非常に大きな差がつくということでしょう。
初めの一歩が大事ということなのか……
「やりたくないけど、やらないといけないことができる能力」への回答にはなってませんが……
なんかずれてきましたが、教員としてやるべきことは明確になった気がします。
初めの一歩が出ていない生徒に対しては、あれやこれやと手を使い、知恵を絞って初めの一歩を出させること。
初めの一歩が出ている生徒に対しては、どんどん加速できるようなことと、途中で躓いて止まりそうな生徒は、止まらないような働きかけを。
だいぶ真面目に長くなってしまった。
10代の彼らでさえあんなにも差があるのだから、「オトナ」になった私達は「相当な差」がついているのでしょう。
世の中は変化し、生徒も変化する。
その流れについていけるように、やるべきことはやり、日々成長していきたいものです。
というか、そんな悠長な事を言ってられない日々がまた、始まる。
できる人
最近、何人かの同僚が私のことをさして
「できる人だから…」みたいなことを言う。
もちろん、「できる人」と言われて嬉しい。
が、全然「出来てる実感」はない。
特に最近はぬけぬけで周囲にすみませんすみませんと謝ってばかりなんですが…
てな状況なので素直に喜べず、おだてられている気がします。
部分的には出来てることもあるんですが。
おだてて、おだてて、その気にさせて大変な仕事を…みたいなオチがありそうな気がします。
もちろん梯子はしっかり外しますからね! みたいな。
なんせ、働いても働かなくてもお給料は変わらない世界ですからね。
お給料が上がるなら「私、できる人ですから!」みたいに言いますけど!
ま、身体を壊さんよーに気を付けます。
沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり
年の瀬がせまり、今年一年を振り返って…
などと悠長なことは言ってられず。
世の中上手く出来ているようで、昨日にてきとーな記事をアップしましたが、最近サボっていたことが結果に出てきたようです。
生徒はよく見てますからね…
まだ問題になるほどではないですが、やっぱりさぼってちゃいかんのですね。
あーあ、やっちゃった…
と沈んでいましたが、ふとしたことから「いいこと」を教えてもらいました。
自分自身では気付かなかったですが、周囲からみると成果も出ているようです。
元気をもらえました。
唐辛子を食べたくらい口を辛くして言う
先日、同僚との会話。
同僚「○○(生徒の名前)って自分には反抗的態度をとるんですが、××(私)にはどう?」
私「いや、こちらにはそんなことはないですよ」
って…「そんなこと言っているからそーなるんでしょ!!」とは言えず。
そら、「上から目線」で言われると反発もしたくなるわな。
ただ、難しいのは生徒がその教員に対して、尊敬している、好感を持っている、「この人にはかなわん」(いろんな意味で)と思っていたりすると、「上から目線」でも反発しなかったりする(「権威」があるということでしょう)。
また、生徒自身も「オトナ」な対応ができるタイプだと軽く流せたりする。
…最近どうもクラスの生徒が私の話を軽~く聞き流してくれる。
梅干を食べたくらい口を酸っぱくして言ったのに「え? 聞いてないです」と、あたかもこちらに非があるように言う始末。
「耳の穴は『右から入ってものを左から出すため』に両方についているんだ!」
とかなんとか、いらんことを言い過ぎたかと思っていたが、彼らも「オトナ」になったということなのでしょう。
という訳で、彼らの成長に免じて「唐辛子を食べたくらい口を辛くして言う」ことはやめておきます。
「働きかた」の変化
最近、非常に忙しく精神的に燃え尽きました。
が、冷静に考えるといくらでもやりようがあって、任されたのは私自身ですが周囲に仕事を振って協力してもらってやればもっと上手く回せたような気がします。
…というような、段取り・根回し・仕事の分担って「経験値」が必要な気がします。
初めて担当する仕事で、仕事自体の大きさもあまり測れてませんでした。
というか、そんな発想すらなくひたすら自転車操業の日々でした。
「中堅」と呼ばれる立場になってきたので、「若手に振る」ということも意識してやっていく必要がありそうです。
どこの職場でもそうだと思いますが、若手が少ないので「ベテランに振る」ということももっと上手くなりたいものです。(この、「若手が少なく、ベテランが多い」は非常に大きな問題なのでそうのうちまた考えざるをえないと思います)
どうやら私自身、「働きかた」の変化が必要となっていそうです。
ついでに、仕事を抱え込んでしまう傾向があるので注意しないと。
はじめに
日々いろいろなことを経験し、考えている。…が、近ごろは忙しさに流され、きれいに流れ去っている気がします。
そんな「水洗トイレ的教員生活」を振り返るために始めました。
注意したいのは愚痴ばっかりのブログにならないことです。
「愚痴の元」を考え、次に生かせるよう建設的な方向へなんとかならんものかと思ってます。