それは幻想だー!
ああだこうだと今の職場は残念だとグチグチ書いていますが……
私の教える教科は、「残念な職場」の中では上手く協力できていると思っていた。
が、おとなりでは「あいつはダメやから」といって排除的な扱いがなされているようだった。。。
ウチの教科は上手くいってると思ってた(思いたかった)けど、それは幻想だー!
あぁ……
せめて身近なところから協力しましょうや。
そんなに「協力」って難しいことですかね?
話すと元気が出てくる人、そうでない人
なんでなんだろう。
その人と話をすると、こちらも元気になってくるような人と、こちらの元気を一気に吸いとられるような人がいる。
これが「聴く力の差」というやつなのか。
一方的に喋るばかりの人は疲れるし。
しっかりと「聴いて」もらって気持ちまで汲んでもらうと元気も出るような気がする。
他にも、発言が前向きな人は元気をもらえるような気がする。
気の合う同僚と話していて、今の職場は「話していて元気がなくなる人」が多いという結論。。。
人の話を聞けない人が多いのは職業病なので、しょうがないかもしれないけど、前向きに行きませんか?って、言っても足を引っ張られるんだろうなー。
「悪気」はないので余計やっかい。
あぁ、なんて残念な職場なんだー。
上手くいかない前提
部活で人間関係が軋んできているようで、ちょっと調整に入った。
人間関係が上手くいかず、そのなかで交渉力やら調整力、我慢する経験やら、嫌な思いやらをしながら成長しているのだと思う。
これぞ教育って気がします。
成長の最前線というか。
もちろん、ある程度のコントロールされている集団でないといけないけど。
が、勤務時間外の部活は仕事じゃないですからね。
でも、問題が起こると先生に責任があるから残業で対応ですからね。
私は残業なんて嫌なんだけど、最前線に関わるのは実に面白い。
で、ふと思ったんだが、学校って「問題がないことを前提」として設計されているような気がする。
人が集まれば必ず争いが起きる。揉め事も起きる。いじめも起きる。環境に適応できない生徒もいる。勉強ができない生徒もいる。。。
みたいな「問題」には対応しろとは言われるんですが、対応に対する労力を考慮した学校のシステムが設計されていないように思う。
先生だから全部やって。みたいな。
先生がやるにしても時間的も足りないし、カウンセラーさんとか専門家もいないし。
これって学校の仕組みを作る文科省の方々が優秀すぎて、失敗や問題のある学校生活とあまり縁がなかったからか!?
とか思ったりして。
ただ、私は失敗は成長の種となると思っているので、どんどん失敗してどんどん問題になって、成長していってほしいと思う。
そのためには生徒対応に時間がかなりとられるので、人手もふやしてくれー。
いらない会議
たまたまネットで記事を見てハッとさせられた。
会議の目的は、皆で知恵を出しあいより良い策を出すこと。
という、当然のことですが。
「集団的知性」という観点。
で、会議に呼ぶと集団的知性を低下させる人は……
①すぐにマウントをとろうとする人
②人の話をぶったぎる人
③アイデアを出さない人
④意見を言わない人
だそうだ。
皆で考えましょうってことなんだから当然ですな。
そう考えると実に無駄な会議が多い。
マウントをとろうとして、人の話をぶったぎる人がいるので私は意見を言わない会議が毎週あるけど、ほんと無駄。
と、考えると職員会やら何とか委員会とかもっと参加人数減ってもいいんだけどなー。
というか、私は意見を言わないので外してもらいたいなー。
反対の意見を言ったりすると個人的に攻撃されたりと、後々めんどくさそうですから大人しくしてますんで。
まぁ、「そういう人がいる」ので会議でも意見を言う人が余計に減り、集団的知性が下がって集団としてのレベルが低くなるんでしょうな。
「そういう人がいる」ので発言しないという、私みたいな人間もいるし。
あぁ、やっぱり残念な職場だなー。
心が折れる職場
先日、「心が折れる職場」という本を読んだ。
今の職場が結構当て嵌まってて確信です。
ほんと、ダメな職場なんだなー。
勤務時間はそんなに長くないのに心の折れる職場ですな。
平気で同僚をバカにしたような発言をする人。
ハラスメントをするベテラン。
自らの責任逃れに必死な管理職。
心を病む人。
働かないおじさん。
働かないおじさんをバカにする若手。
スケープゴートを作って笑う人。
同僚を嵌めて左遷を狙う人。
保護者としょっちゅう揉める人。
口を開けば生徒の悪口ばかりの人。
口だけを出す人。
ここには書けないようなことをしちゃった人。
仕事に対して後ろ向きなベテラン。
仕事に対して後ろ向きなベテランに染められてしまった若手。
なぜこんなに空気が悪いのかと嫌になった人。
こんな職場は早く転勤したいと願う人。
……と、言い出したらキリがないです。
もう、職員同士がバラバラ。
「こんなに上手く回っていない学校はない」と言う人もいるくらいですからね。
が、「では、今の自分に何ができるか?」を考えた。
「繋がれるところと繋がっていくしかない」と思った。
バカにする人や、口だけの人、そんな人は相手にせず、「共に戦う仲間」を増やしていくことがこの職場で生き延びていく方法だと思った。
そうやって、職員同士の連携が出来てくると職場としても良くなっていくはず。
とりあえず、自分の周りからですな。
ま、先生も人間ですから職場も上手く回りませんわ。
しかし、文字にするとほんと残念な職場だなー。
失敗の結果
いろいろな問題があり、上手く対処できていない同僚。
対応には彼のプライドがいろいろと邪魔をしていそうだ。
学生時は優等生で、職場では仕事もできて、、、みたいな「できる自分プライド」が。
君は対人関係能力がそんなにないんだから、プライドなんか捨て去って、失敗していいじゃないか。
権力を傘にしてプライドを守るのはやめませんか。
などと、同僚を見ながら思った。
上から目線でなんて嫌なやつなんだ自分(笑)
しかし、プライドが高い人ってやりにくいな。
私自身はかなり大きな失敗をして、がらくた同然なのであそこにあんなプライドはない。
失敗の効用はプライドがなくなることでもあるんだろうな。
いっぱい失敗をすれば、いっぱいつまらんプライドが消えていく。
つまらんプライドのお陰で、大事なものが抜かっている気がするなー。
内省と成長
ある人がふと言っていた。
別の人について「内省しないから成長しないんだよねー」と。
そんなこと考えたことなかったけど、そういう視点をもっていろいろ見てみると発見があった。
「若いうちに沢山失敗した方がいい」の意味。
失敗して上手くいかないと、立ち止まってあれこれ考え、内省の機会となる。
なので、失敗は内省を生み出し、その結果成長するということなのだろう。
人のことをしょっちゅう非難している人が未熟なのは当たり前。。。。かな。
私自身は10代後半にかなり大きな失敗の経験があって、数年間引きずった。
原因を探し、内省し、勉強し、、、ひたすら足掻いた。
真っ暗闇のなかで手探りしながら足掻いた。
この経験により考え方、技術、もののみかた、など大きなものを得ることが出来ていたようだ。
思っていたより大きかったっぽい。と、今更ながら思った。
エリートが打たれ弱いって、こういうことやってないからなんでしょうな。
まぁ、失敗するにしろしないにしろ内省しない人は変わらんのだろうなー。
内省しない人と人の話を聞かない人は重複している気がしますが、どちらも苦手です。