上手くいかない前提
部活で人間関係が軋んできているようで、ちょっと調整に入った。
人間関係が上手くいかず、そのなかで交渉力やら調整力、我慢する経験やら、嫌な思いやらをしながら成長しているのだと思う。
これぞ教育って気がします。
成長の最前線というか。
もちろん、ある程度のコントロールされている集団でないといけないけど。
が、勤務時間外の部活は仕事じゃないですからね。
でも、問題が起こると先生に責任があるから残業で対応ですからね。
私は残業なんて嫌なんだけど、最前線に関わるのは実に面白い。
で、ふと思ったんだが、学校って「問題がないことを前提」として設計されているような気がする。
人が集まれば必ず争いが起きる。揉め事も起きる。いじめも起きる。環境に適応できない生徒もいる。勉強ができない生徒もいる。。。
みたいな「問題」には対応しろとは言われるんですが、対応に対する労力を考慮した学校のシステムが設計されていないように思う。
先生だから全部やって。みたいな。
先生がやるにしても時間的も足りないし、カウンセラーさんとか専門家もいないし。
これって学校の仕組みを作る文科省の方々が優秀すぎて、失敗や問題のある学校生活とあまり縁がなかったからか!?
とか思ったりして。
ただ、私は失敗は成長の種となると思っているので、どんどん失敗してどんどん問題になって、成長していってほしいと思う。
そのためには生徒対応に時間がかなりとられるので、人手もふやしてくれー。