信頼
先日、「学校って生徒に信頼されてないんだ」と感じるやりとりがあった。
私自身としては信頼を損なうようなことには気を使っている。
信頼している教員が言うことと、信頼していない教員が言うことでは結果が違ってくる。
「信頼され具合」で授業の効果も上がると思っている。
ただ、職場の全教員を見ると、信頼してもらえないようなこともやっていたりする。
そして、私の考え、感じていることが「絶対に正解」という訳でもない。
なので、しょうがないともいえるが、「学校」として見られるので、ふだんあれだけ気を使って労力を払っているのに…などと思ってしまった。
もちろん、ある人から見たら私が信用を失うようなことをやっていると見えるかもしれないですが。
ただ、今気づいたが私は「正論を言うこと」より「信頼されること」を大事と考えているようだ。
生徒に対して「正論を伝えること」は大事。
だが、いくら「正しいことを言って」も届かなけれ意味がない。
「正論」だけでいけるのなら、生活習慣病やら、薬物依存やら、人種差別やら、地域紛争やら、なんやらかんやらの問題は解決!!
世界は平和に…なるはずなんですけど。
などと考えるひねくれ者なので、「正しいことばかり言っている人」よりかは「信頼される人」となった方が「何か」が生徒に届く気がする。
一番は「正論で行動できる人間がどうすれば育つか」が分かればいいんですけど。
ま、正論ばかりで生きていない、ひねくれた私なんぞには無理な気がします。
しかしまあ、正論ばっかりなんて息が詰まって死んでしまうなー