TkMdの日記

忙しさに流されない日々のために。某教員のブログ。

センセーも人間です

引き続き、池田町の件について。

担任と副担任の度重なる厳しい叱責が原因らしいですが、何ていうかそこを叩く考え方は建設的でないなーと思う。

もちろん、叱責して生徒の行動が変わらないのに繰り返しているのは教員として能力が低い。

けど、残念ながら「できない教員」は絶対にいなくならない。

どの会社にも「できない社員」がいるように、教員の世界にもいますよ。

そもそも教員免許自体が「勉強ができればとれる」ものなので、生徒対応能力の保証をするものではない。

また、今の同僚にも生徒対応能力の極めて低い人がいるが、別に処分されるわけでもなし、注意をする人もいないし(そんな人が聞くわけない)。

教員免許の更新制度ができて、そういう残念な教員を弾きたかったと思われるが、実際は誰でも更新できるし。

採用試験ではそんなこと分からんし。





働き蟻を調べると必ず3割が働いていないらしい。

でも、その3割だけを集めて巣を作ると、7割が働き出すらしい。

人間でも一緒でしょう。

教員集団として必ず「できない教員」が生まれる。

お役所からくるお達しは「もっとしっかりやれ」的なもので、できない3割を減らそうとしてるけど、無理でしょう。

生徒を執拗に叱責して追い込む教員もいるし、相談しても全く相手にしてもらえない教員もいるし……と、どうしようもないことは認めることが必要だと思う。

不祥事がある度にお達しがくるけど、それで不祥事がなくなってないでしょ!?

それを認めて……というか、諦めて「そんな教員もいるからそれに対応するのが仕事の人」を作るのが再発防止なんじゃないかな。




いつからあるのか、「教員は聖職」というイメージで考えている人がまだまだ多いと思う。

教員だって人間だから、腹が立つこともあるし、依怙贔屓することもあるし、弱い立場の生徒をいじめることもあるし、生徒の不登校の原因となることもある。

聖職だからそんなことはあるまじき。

あるまじき事は改善されるべきだから、改善されるはずだ、みたいな。

聖職だから問題があっても改善される、と思われてるように感じる。

今回のような執拗に叱責する教員にしても、変えるとか、(ほぼ)無理だから。

教員本人は悪気あってやってる訳じゃないから。

これが正しいと思ってやってるから。

聖職だから学校の問題は全部教員が対応できる、とかないから。

むしろ問題を作る場合もありますから。

というわけで、学校の事を教員が全部やることはもう、やめましょう。

センセーだって人間ですから、できないこともある。

できないことはできる人にやってもらうしかない。