困った人の扱い……
某ブログでの記事。
昔は「困った人」として社会生活を送っていた人が、最近は「発達障害」として、精神科の扉を叩くそうだ。
その方はそれだけ社会適応のハードルが上がったと書いていた。
社会の側も受け入れるキャパシティがなくなってきたと。
そんなことを本日凄く感じた。
職場にいる「困ったオジサン」との話。
こちらが協力をお願いしたのだが、なかなか話が進まない。
さらにこちらを馬鹿にしたような態度をとられるので、非常に疲れた。
で、他の人に愚痴を聞いてもらったりしたのだが、「あれは困った人だからね」と言う。
なぜこちらが協力をお願いしたかは、仕事だからだ。
関わりたくないけど、仕事として必要だと思ったのでお願いした。
が、オジサンに合理的な思考回路はないので、個人的感情でいろいろと言ってきた。
そして、ふと考えてみると今の職場は残念な職場なんだけど、「困った人」が多い。
特に五十代後半のおじさんはほぼ全ての人がコミュニケーションのとりにくい、癖のある人だ。
なぜかその下の世代になるとマトモな人ばかりになる。
私の世代もマトモな人が多い。
というか、私の世代は仕事に対して、「個人的感情を押し出すものではない」という認識のように思う。
これってある意味で昔は「少々変わっていてもそのままいけた」という事のように思った。
だから変わらない、変われない人間になってしまったんだと思うけど、今の世代は仕事で必要ならストレスを抱えてでも無理してでもやるような気がする。
電通にしかり。
素の状態ではなく、周囲の要請に合わせて無理してでもやっていると、我を通している人に対して寛容になれない。
私なんかは心が狭いので、仕事に私情を持ち込むなよ!と思ってしまう。
そういった形の不寛容が社会全体としてあるような気がした。
そして、「あの人はちょっと……」と言われながらも社会で生きていた人々が、「発達障害」というラベルを貼られて生きざるを得ない状況にもなっていると思う。
回りと違う人は、違いながら受け入れられていたのは昔の話で、違う人はどうにかしていきましょうという感じがする。
教員としては昔よりかは遥かにレベルアップしているんだと思うが、働く側からしたら遥かに働きにくくなっているんだろうなと思う。
ま、なんか話がおっきく飛躍しちゃった気がするけど、合理的な思考ではなく私情で動く困ったオジサン達の相手ってどうすりゃいいんだろう?
あーあ、ほんと勘弁してほしいなー。