変われぬ理由
知り合いの教員の方に聞いた話。
ある公立高校でのこと。
その学校は10年ほど前までは進学校として、それなりの実績を上げていたとのこと。
が、近年人気がなくなり、その結果定員割れを起こすようになった。
入学生徒の学力も下がり、進学実績や生徒の質は坂を下るように落ちていったらしい。
しかし、である。
校内の体制は昔の「進学実績がどんどんでていた時と同じ状態」を想定しているらしい。
で、どうなったか。
現場の教員は生徒の現状に合わないことをせざるを得なくなり、負担が大きいそうだ。また、生徒も現状に合わないことをやらされる羽目となり、厳しい思いをする生徒も多い。
その結果、転勤希望の教員が大勢出ているそうだ。
なぜ『現状に合ったこと』ができないのか?
簡単そうで、実はなかな根が深そうなことだった。
その学校の主任クラスの、いわば「学校を引っ張っていく人々」はベテランである。
そして、そんなベテランたちは長く学校にいる人が多い。
つまり、「昔の良かった時」を知っている人々が学校を引っ張っていく立場にある。
すると、どうなるか。
「やり方を変える」のが「今までのやり方を否定すること」となってしまう。
今までの、「自分の地位を築いてきたやりかた」を否定して新しいやり方はできない。
新しく変えると良いことばかりではない。
今まで上手くいっていたことができなくなることもある。
と、なると「変えるという発想がない」のか「リスクを回避し、現状維持」なのかわからないが、変わらないまま流れていく…
と、いうことらしい。
「過去の成功を捨てるのは難しい」ということと、「保守的な公務員体質」の合わせ技といったところでしょうか。
教員も、生徒もどちらにもメリットのないLose-Loseの関係。
若乃花親方(若貴兄弟の弟のほうです)が入門する弟子を見ている実感として「5年ごとにサイクルがある」と言っていた。
私自身、最近なかなか「いい授業」ができていない気がする。
自分の過去とか立場とか,不要なものはしっかりと捨てて、目の前の生徒としっかり向き合っていきたい。
と、いうより意識して努めていないと凝り固まった教員になってしまいそうだ。