TkMdの日記

忙しさに流されない日々のために。某教員のブログ。

やる気なんてない。

先日のこと。

同僚が課題の出ていない生徒に対して
「やる気はあるのかね!?」
と、言っていました。

いや、「そんなもんないでしょ!?」

と、思ってしまうひねくれた私。

その生徒は勉強は苦手だ。
授業でも寝てしまうことがある(私の授業だけか!?)。
ま、そんな状態でやる気なんぞ湧いてないでしょ。

「やる気」とは「出来ることに対して生じるもの」と言う人がいたが、実にその通りだと日々感じている。
な、の、で、勉強が出来ない生徒は、勉強に対するやる気がわかないことが多い。

話はそれるが、「やる気ないです」とは言えんし、かと言ってないもんはないし、ダブルバインド状態であれはまずいよな……と、思いながら見てましたが……


元にもどって、子供の立場からしたら勉強は好む好まざるを関係なしに「やらされること」という面がある。
「学校の教科全てが好きでした‼」みたいな人は少ないはずである。

訳もわからない、好きでもない、出来ないことをやらされて、そりゃやる気なんぞ湧くわけないよな……と、思うことも多々ある。

そういった状況で「やる気にさせる」のが、教員の仕事でもある。

が、私自身の課題というか知りたいのは、上記のような状態の生徒でも
「授業はよくわからないけど、やらないといけない」
と、取り組める生徒と
「訳もわからんし、やらんとこう」
と、投げてしまう生徒の「差」である。

卒業したあとの生徒の人生を考えると
「やりたくないけど、やらないといけないこと」
は避けて通れない。
もちろん、勉強のできる、できない は大事だと思う。
が、それ以上に
「やりたくないけど、やらないといけないことが
やれる能力」
の方が大事だと思う。
もちろん、職場の上司なり、種々の法律なりでやらざるを得ない状態に追い込んでもらえることも多い。
が、外部から圧力が加わらなくとも、「やるべきこと」って案外多いような気がするのです。
学校の勉強に関しては、こちらが圧力をかけることも時には必要でしょう。
が、そういった外部圧力による勉強はあまり身に付いていかない。
これを実感している方は多いのではないかと思います。


私は大学生の頃はいろいろな「やるべきこと」から逃げてどうにか立ち回っていたような気がします。
年を取り、少しずつ「やるべきこと」ができるようになってきた気がします。
そんな気はしていますが、「ではどうすればできる人間になれるのか」はよく分かりません。
体よく言うならば
「人間的に成長した」
なんでしょうが、自分自身を含め周囲の人々を見渡すと、「年を取る」ことと「人間的に成長する」ことはイコールではない。

ただ、「やるべきことができる人」は「変わっていける人」だと思います。
そして、「変わっていける人」は「成長していける人」だと思います。

記事を書きながら気づいたのですが、「やるべきことができる」ということは「成長していける」ということで、「成長している」ということは、
「やるべきことができる」ということに繋がってくる。
つまり、良い循環に乗れた者と、そうでない者とで非常に大きな差がつくということでしょう。

初めの一歩が大事ということなのか……

「やりたくないけど、やらないといけないことができる能力」への回答にはなってませんが……

なんかずれてきましたが、教員としてやるべきことは明確になった気がします。

初めの一歩が出ていない生徒に対しては、あれやこれやと手を使い、知恵を絞って初めの一歩を出させること。
初めの一歩が出ている生徒に対しては、どんどん加速できるようなことと、途中で躓いて止まりそうな生徒は、止まらないような働きかけを。


だいぶ真面目に長くなってしまった。
10代の彼らでさえあんなにも差があるのだから、「オトナ」になった私達は「相当な差」がついているのでしょう。

世の中は変化し、生徒も変化する。
その流れについていけるように、やるべきことはやり、日々成長していきたいものです。
というか、そんな悠長な事を言ってられない日々がまた、始まる。