TkMdの日記

忙しさに流されない日々のために。某教員のブログ。

ブラック 砂糖あり

先日、私が教員とは知らない知人との会話。

知人「ゴールデンウィークはどこかにお出掛けですか?」

私「ゴールデンウィークは全部仕事なんです」

知人「あっ、他人が休んでるときには休めない仕事ですかー」

私「まあ、みんなが働いているときも休めないんですけどねー」

知人「いやー、それはそれは。でも、残業代とかでお金は貯まりますねー」

私「いや、基本サービス残業で、残業代出ないんで貯まんないんですよー」

知人「うわー、ブラックですねー」

私「いやー、ほんとブラックなんですよー」



残業代がない上に、残業時間が過労死ラインを越えるとか、お手本になるくらいにブラック過ぎるのだけれど給料はまあまあ貰っている。

よって、ブラックではあるけれども、砂糖あり。

あなたの隣に

最近、気付いたことがある。

我が部の部活動の生徒の一人がサイコパスっぽい。

去年から知っているけども、最近になってようやく気が付いた。

その生徒の特徴。

①非常に利己的な思考
こっちが「えぇ!?、何でそうなる!?」みたいな感じで、自分の都合のいいような強引に見える思考。
平気で?簡単にばれるような嘘をつく。嘘をついているという自覚すらなさそうだ。
「自分は○○をしっかりやっている。ちゃんとやっていない奴らはダメだ」→他人から見たら「いやいや君はそれ以外やってないですから」
また、自身の結果が悪かったときなどは必ず外部のせいにする。恐らく合理化しているのだろうけど、しょっちゅうの事らしく一部の部員は「はいきたー」とネタ化している。

②他者に対する共感性のなさ
会話をしていて、「そうだねー」という言葉は辞書にはない。会話が「共感しつつ同じ方向を見る」ことはなく、「会話相手と正面から向かい合う」というものになるので、会話の返しが常に自身の意見を言う形となる。
会話をしていて「相づち」を打つことはない。


③他者に対する攻撃性の高さ
人の揚げ足をとるように「○○ができんなんてダメやろ」と、よく直接他の部員に言っている。
だいたい他人のことを言う時は欠点を指摘するような発言となる。
もちろん、矛先はこちらにも向かってくるので適当にいなしてあげる必要がある。
また、言われても反撃しなさそうな後輩を早速見つけたようで、ちょっといじっていた。こういうのは本能的に見つけるのだろうな。
先輩に対してもおまえ呼ばわりしていたので、他者に対する尊敬などもないのだろう。あるのは、上か下かの世界なのだろうな。

④他者に対する高い操作性
これは非常に上手いと言うか、不思議に他の部員が従ってしまう。
命令口調で言う+的確な話し方 によるもののような気がするけど、他の部員がついつい従うことが多くなる。
面白いことに動かされた側の部員に「従わされた感じ」があるようであるが、「拒否する」という空気を読めないことをしない部員が従っている。拒否すると攻撃性が発揮されそうで、拒否する部員がいなくなっているのかも。


以上、これはサイコパスでしょう。

だからと言ってどうこうではないし、凶悪な犯罪をおかすサイコパスもいるけど、ほとんどが犯罪を犯さないサイコパスでしょう。

人口の数パーセントはサイコパスらしいので、そんなに珍しいことでもないし。

他者に対する共感性のなさはアスペルガーと一緒であるが、もっとアスペルガーは不器用だと思う。
アスペルガーは不器用で、他人を操作したりできない事が多そうだし、そんなに利己的ではない気がする。
他者への攻撃性や、自己中心性は「他者が見えないこと」が起源のような気がする。

一方、サイコパス(これもスペクトルで明確な線引きはないのだろうけど)は器用で、不器用さからくる攻撃性や自己中心性ではなく、もともとある攻撃性や自己中心性を形に出来るような気がする。
他者に対する理解力というか、観察は無意識に行っており、非共感的理解力はありそうだ。
自分が嫌われていない(比較的先輩には嫌われていない)という、表情などのノンバーバルなものを汲み取る能力もありそうだ。



ちょっと苦手だったけど、その生徒に対して興味が湧いてきて、最近は観察している。

他者に対して命令口調な部分を逆手にとって、こちらが理屈で命令口調で言うとどうなるか試してみたけど結構すんなり従った。
上下の関係の世界で生きている人間は「上の人間」(正しそうな理屈をつけていた私の側を上と認識したっぽい)の命令には逆らわんのだろうな。

同級生には激烈に嫌われている。
そりゃあ同級生なのに上から目線で攻撃的なことを言ってくる人間は嫌だろう。



まあ、この生徒がこれからどうなるかわからないけど、後輩もできてちょっとは丸くなった気がしているので(もちろん、攻撃性や操作性もばっちり発揮していますが)、今後もどうなるか楽しみだ。



映画やドラマのなかの話だと思っていたサイコパスがこんなにも身近にいたなんて、なんか新鮮。

近所に嫌がらせばかりする住人とか、モンスタークレーマーなんかもサイコパスが多そうだなあ。


ほんと、相づちを全く打たないあたりは「気持ち」とか「思いやり」とかとは異次元の世界に生きているように感じる。
本当に本能的な?脳の器質障害なんだろうなー。

そんなことを言われましても

アドバイザー的な外部の方から、「アドバイス」を頂く機会があった。

「もっとこうした方がいい」「こういうことが必要とされている」と、その人は言う。

……あのね、とてもじゃないけどそんなことを言ってるような状況じゃないんですよ……

ということを説明するのにかなり苦労したし、多分わかってもらえてないと思う。



例えると、100mを14秒で走る生徒がいるとする。

アドバイザーは14秒だけを見て、あれやれこれやれ、そうして12秒で走るべきだと言う。

実はその生徒は16秒かかっていたが、血の滲むような努力をし、教員も土日を返上して練習に付き合って、それでようやく14秒でなんとか達成し、心身ともに疲れきってもう走れない生徒なのだ。

外部の方はそこの経緯は知らないし、見ようともしない。

なので言う。

「12秒で走れないのは君の頑張りが足りないからだ」と。

「まだまだ練習が足りない。もっと走れ!」と。

その生徒が生まれつき持病があり、14秒で走ることも奇跡的だということも知らないままに。



まあ、ちょっと盛っちゃったけど外部の方はアラがよく見えるからなのか、「ご指摘」をされることが多いような気がする。

もちろん、こちらも改善すべく頑張る必要があるんだけど、こちらの状況をまったく理解していない状態であーだこーだ言われても、どうも……ね。

こちらの状況を理解しようとしてくれる人、実際に理解できる人、一緒に考えてくれる人、そんな「外部の方」をお待ちしております。



こういう、「現状を理解していないけど口ばかり挟む人」がいたりするので、とてもじゃないけどやってられんから、学校が閉鎖的になる面もあるんだろうなーと思った。

「したこと」よりも

マザー・テレサだったと思うけど、「人は自分がその人にしたことは忘れるが、その人にさせられた思いは忘れない」という言葉を最近凄く実感する。

「試験勉強を頑張ってやってから食べようと冷蔵庫に入れてあったプリンがお母さんに食べられた」場合、勉強した内容を忘れてもプリンを食べられたことは忘れない。

季節の病

いつの間にか咲いた桜も散り初め、年度が変わって新年度。

「教育は書類でやっているんじゃない!、現場でやっているんだ病」がそろそろ再発しそうです。

罹患者数の多さ、治療の困難さ、特効薬の少なさなど、実に厄介な病です。

いつからか、教員になってすぐくらいからだと思いますが、未だに免疫が出来ていないようで毎年罹患しております。

4月の頭から書類作成マシーンと化し右から左へと書類を作成する日々ですが、もうそろそろ飽きてきたなー。

毎年再発しておりますが、今年は軽傷ですむことを心底願っております。

他人事じゃない

最近、いろんな学校で発達障害の生徒対応に苦慮している。

本校も例外ではなく、なかなかに苦労している。


が、先日のこと。

母と父の話をしていて、母は言った。

「あの人はアスペルガーやと思うよ」

……

……

……

そうかも。

私の父は「困った人」で、自分の意にそぐわないことがあると家で暴れる、「こうあるべきだ」という思い込みが激しい、暴れた後は何事もなかったかのようにけろっとしている、空気が読めない、他人の気持ちが理解できない……などなど今思えば確かにアスペの特徴がある。

学歴もまああるし、一応定年まで仕事ができていたし、常同行動などはないので、自閉度合いは低いと思われる。

が、言語的知能は比較的高め、作業性知能も低くない、というところに来て共感能力が超絶に低い。

点数にするなら、言語的知能100、作業性知能100、共感能力5、くらいだ。

確か能力の差が大きいことが知能検査の見方だったはずなので、これは該当するだろうなーと。

人の気持ちが理解できないことに関して何度か指摘したことがあった。

当時は「指摘したら誤魔化して逃げられた」と思っていたど、あれは本当に言っている意味がわかってなかったのだろう。

色盲で赤色が見えない人に「信号は赤で渡るんだ!」と言っても伝わらないように、全く伝わっていなかったのだろう。



ていうか、大分前に私も「父はアスペでは?」と疑ったことがあったんだけど。

発達障害」って全然他人事じゃなかった!

「身内事」でしたw



当事者的な視点から思うこと。

それぞれの家庭にはそれぞれの事情があるのだろうけど、父が定型の人だったら私はもうちょい上手く人間関係を学べたのだろうと思う。

私自身は家庭で人間関係の築き方がまともに身に付かなかったので、大学生くらいから非常に苦労した。

「なんで人とは違うのだろう?」と思っていたけど、アスペな父に育てられて人間関係を上手く学べてこなかったのだろうと、今になって思う。

当時の私は共感的コミュニケーションが超絶に下手だった。

「なんでみんな当たり前のようにコミュニケーションとれるんだろう」と思ったし。

もう、マジで勘弁してくれ。

……というのが当事者の意見かな。

親がアスペということは、共感的能力を育てる環境に乏しい家庭となりやすいのだろうな。

ある意味で私自身は家庭的なハンデを背負っての人生スタートだったんだなあ。

ただ、今となってアスペの生徒対応があまり苦じゃないのは、アスペな父の相手をしてきたからこそなんだろうけど。

あんまりいうと問題になりそうだけど、子供の立場からしたらアスペの親はマジで勘弁してほしいなー。



ちょっとずれるけど、ひょっとしたら「親が発達障害」な不登校の生徒って結構いるんじゃないかと思った。

うちみたいな「父が暴れる系アスペ」だと母も消耗していて、とてもじゃないけど子供が安心して過ごせる環境なんかではないし、定型の人との人間関係を学ぶ機会も少なくなってますからね。

組織の中で生きていくということ

クレーマーおじさんをはじめ、その他の方々も含めて今の職場は人間関係で精神を削られることが多い。

「残念な職場」と言ってしまえば終わりだけど、そうでもない気がしてきた。

「組織の中で生きていくということ」は、「様々な人がいるなかで生きていくということ」なので、いろんな人がいて当たり前。

真面目な人、怒りっぽい人、誠実な人、すぐ逃げる人、コミュニケーションのとれない人、嫌みっぽい人、やる気のある人、やる気のない人、発達障害の人、定型の人……

と、考えると人間関係で軋轢が生まれるのは当然で、組織の中で生きていくということは「人間関係で消耗しながら生きていく」ということかもしれない。

もちろんマイナスばかりではないので、支えあいや助け合いもある。

プラスばかりではなくマイナスもあって、それが組織という枠に縛られるということで給料を貰っているのかもしれないと思った。

自分でリスクを背負っている自営業なら人間関係を選んでもいいのだけど、リスクを組織に背負って貰っている人間には組織内の人間関係を選ぶ権利はないんだろうな。


などと思ったけど、さらに考えていると「人間社会で生きていくということ」自体が人間関係による消耗を含んでいるのだなぁ(もちろん良いことも含んでいますが)。


あぁ、裟婆で生きるって苦しいなぁ。