季節の病
いつの間にか咲いた桜も散り初め、年度が変わって新年度。
「教育は書類でやっているんじゃない!、現場でやっているんだ病」がそろそろ再発しそうです。
罹患者数の多さ、治療の困難さ、特効薬の少なさなど、実に厄介な病です。
いつからか、教員になってすぐくらいからだと思いますが、未だに免疫が出来ていないようで毎年罹患しております。
4月の頭から書類作成マシーンと化し右から左へと書類を作成する日々ですが、もうそろそろ飽きてきたなー。
毎年再発しておりますが、今年は軽傷ですむことを心底願っております。
他人事じゃない
最近、いろんな学校で発達障害の生徒対応に苦慮している。
本校も例外ではなく、なかなかに苦労している。
が、先日のこと。
母と父の話をしていて、母は言った。
「あの人はアスペルガーやと思うよ」
……
……
……
そうかも。
私の父は「困った人」で、自分の意にそぐわないことがあると家で暴れる、「こうあるべきだ」という思い込みが激しい、暴れた後は何事もなかったかのようにけろっとしている、空気が読めない、他人の気持ちが理解できない……などなど今思えば確かにアスペの特徴がある。
学歴もまああるし、一応定年まで仕事ができていたし、常同行動などはないので、自閉度合いは低いと思われる。
が、言語的知能は比較的高め、作業性知能も低くない、というところに来て共感能力が超絶に低い。
点数にするなら、言語的知能100、作業性知能100、共感能力5、くらいだ。
確か能力の差が大きいことが知能検査の見方だったはずなので、これは該当するだろうなーと。
人の気持ちが理解できないことに関して何度か指摘したことがあった。
当時は「指摘したら誤魔化して逃げられた」と思っていたど、あれは本当に言っている意味がわかってなかったのだろう。
色盲で赤色が見えない人に「信号は赤で渡るんだ!」と言っても伝わらないように、全く伝わっていなかったのだろう。
ていうか、大分前に私も「父はアスペでは?」と疑ったことがあったんだけど。
「発達障害」って全然他人事じゃなかった!
「身内事」でしたw
当事者的な視点から思うこと。
それぞれの家庭にはそれぞれの事情があるのだろうけど、父が定型の人だったら私はもうちょい上手く人間関係を学べたのだろうと思う。
私自身は家庭で人間関係の築き方がまともに身に付かなかったので、大学生くらいから非常に苦労した。
「なんで人とは違うのだろう?」と思っていたけど、アスペな父に育てられて人間関係を上手く学べてこなかったのだろうと、今になって思う。
当時の私は共感的コミュニケーションが超絶に下手だった。
「なんでみんな当たり前のようにコミュニケーションとれるんだろう」と思ったし。
もう、マジで勘弁してくれ。
……というのが当事者の意見かな。
親がアスペということは、共感的能力を育てる環境に乏しい家庭となりやすいのだろうな。
ある意味で私自身は家庭的なハンデを背負っての人生スタートだったんだなあ。
ただ、今となってアスペの生徒対応があまり苦じゃないのは、アスペな父の相手をしてきたからこそなんだろうけど。
あんまりいうと問題になりそうだけど、子供の立場からしたらアスペの親はマジで勘弁してほしいなー。
ちょっとずれるけど、ひょっとしたら「親が発達障害」な不登校の生徒って結構いるんじゃないかと思った。
うちみたいな「父が暴れる系アスペ」だと母も消耗していて、とてもじゃないけど子供が安心して過ごせる環境なんかではないし、定型の人との人間関係を学ぶ機会も少なくなってますからね。
組織の中で生きていくということ
クレーマーおじさんをはじめ、その他の方々も含めて今の職場は人間関係で精神を削られることが多い。
「残念な職場」と言ってしまえば終わりだけど、そうでもない気がしてきた。
「組織の中で生きていくということ」は、「様々な人がいるなかで生きていくということ」なので、いろんな人がいて当たり前。
真面目な人、怒りっぽい人、誠実な人、すぐ逃げる人、コミュニケーションのとれない人、嫌みっぽい人、やる気のある人、やる気のない人、発達障害の人、定型の人……
と、考えると人間関係で軋轢が生まれるのは当然で、組織の中で生きていくということは「人間関係で消耗しながら生きていく」ということかもしれない。
もちろんマイナスばかりではないので、支えあいや助け合いもある。
プラスばかりではなくマイナスもあって、それが組織という枠に縛られるということで給料を貰っているのかもしれないと思った。
自分でリスクを背負っている自営業なら人間関係を選んでもいいのだけど、リスクを組織に背負って貰っている人間には組織内の人間関係を選ぶ権利はないんだろうな。
などと思ったけど、さらに考えていると「人間社会で生きていくということ」自体が人間関係による消耗を含んでいるのだなぁ(もちろん良いことも含んでいますが)。
あぁ、裟婆で生きるって苦しいなぁ。
二年の長さ
今、校内でいろいろと異を唱える教員も多くいることに関して、会議の場で私がちらっと言及。
校長の痛いところをやんわりとつついてみた。
すると校長は言った。
「まあその件は来年度しっかりやってもらって……」
はいきたー。これは三月末に向かって逃げ切りモードだな。
普段の言動からはあまり逃げるようなことはなく、誠実に対応される「いい校長」だったので、これは異動の辞令フラグだ(笑)
下っ端的には「残されたこっちの身にもなってみろ! 2、3年で放り出すんじゃない!」とか思ったりもする。
けど、2年ってむしろ長いかもしれないと思うようになった。
今年に入ってからでも考えるだけでいろいろと事件もあったし。
学校に殴り込みをかけに来たような保護者と何回か面談をし「訴えるぞ!」的なことを言われ、教員が不祥事(?)をおこしてばたばたしたり、職員会の際にはクレーマーおじさんに噛みつかれ、働いている教員だって「優等生」ばかりではないし、訳のわからん内輪揉めの仲裁をし、教育委員会やら文科省から現場を無視したようなことを言われ、それによって現場との板挟みとなり……
と考えていると、こんなん2年もやるなんてほんと嫌になるよね。
逃げ切りモードの校長になんだか共感できてしまった。
2年や3年では何もできないようなもんだと言う人もいたけど、そんなんじゃなくて「2年か3年が精一杯」なのかもしれない。
それ以上続かないから、管理職は2年か3年でだいたい転勤するのかもしれない。
A君とH君
いろんな生徒はいますが、冬休み前の話。
部活の生徒が「もう、ほんと無理です」と大分余裕のない感じで訴えてきた。
その生徒は、おっちょこちょいでムードメーカー、思ったことをすぐに口から出ちゃうような、軽く他動症のタイプ(以下、H君)。
訴えてきたことは、「同じ部活のメンバーの言動にストレスが溜まりすぎている」だった。
そのメンバーとは、いわゆる空気が読めないタイプで、H君と他の人が喋っていたりすると横から口を挟む、とんちんかんな事を言う、などアスペルガー症と思われる生徒(以下、A君)。
H君はA君の言動に関して夏休み前くらいから我慢してきたものの、もう我慢できないという。
私もA君の言動にH君がいらっとしていることは知っていたけど、特になにも言わずにH君の我慢や成長に任せていた。
が、さすがにH君が直訴するくらいなので、よっぽどストレスが溜まっているので、間に入ることにした。
H君に対しては「そういう人もいるのだから距離をとって、イライラが減るようにしよう」と言っていたが、そんな話をしている最中にA君が横から「お前、それくらい我慢しろよー」とか言ってきた。
で、「そーゆーとこなんだよ!!」と、さらにH君の怒りのボルテージ上がる。
……しょうがない。
直接A君に説明するか……手間がかかるのでやりたくなかったが……
ということで、A君に一から説明。
H君と私が会話しているときに横から入ると、H君は不快な思いをしていること。
A君は不快な思いをしていなくとも、他の人が不快な思いをしている時があること。
これ以上簡単には説明できないというくらい渾身の力を振り絞って、噛み砕いて説明。
が、A君は言った。
「よくわからないです」。
……うん、そうだよね……。それは想定内。
てゆーか、言われてわかるくらいなら空気読めてるから。
やはりアスペルガータイプの人は「他人の感情」に疎いので、「他人がどう思っているか」を言ってもダメだよね……
で、ここで諦めると今度はH君が爆発しそうなので「えー、なんでだめなんですか?」、というA君相手に粘った。
「えー、よくわかんないです」というA君の言葉に「うん、そうだよね。そうなんだけど……」とほんとに粘った。
どうすれば伝わるか?
どうすればA君の行動が変わるか?
そんなことを考えながら3人で話をしながら、最終的には「H君と誰かが喋っているときは入らない(直接呼び掛けられた場合は入ってよい)」ということに落ち着いた。
は、いいんですが話のなかでA君に「自分の言動で他人を不快にさせている」という自覚をしてもらうために、「君の言動でH君は嫌な思いをしている」ということを何回か言った。
どれくらい伝わったか分からないが……
てな感じで寒い廊下で一時間話をし、部活動も冬休みに突入。
ほんと寒かった。
A君に冬休み中になんかあったら私はYahooニュースで報道され叩かれまくる、不祥事教員になるんだろうなーと、そんなことを思いながらの冬休みだった。
休みが明けて、無事にA君は学校に来ている。
やれやれ。まずは一安心。
「発達障害の生徒に配慮しましょう」と上から言われるが、現場では今回みたいな「どっちも発達障害」みたいな件も多い。
なかなか難しいなあ。
職員会議は忙しい
先日、職員会議でマウンティングを繰り返すクレーマーおじさんの事を書いたけど、前回の職員会議は興味深かった。
何があったかというと、クレーマーおじさんが劣勢にたたされていた。
おじさんがやらかしたのだ。
具体的にはここでは述べられないけど、前述の「事件」はおじさんがらみだ。
そんな状況のおじさんをを人々は見逃すわけがなかった。
おじさんの提案した議題が質問の集中砲火を浴び、見事に炎上。
提案の中身が穴だらけなのが火に油を注いでいたのだけど、普段は職員会議で質問なんかしないような方々も参戦しており、ワンサイドゲームだった。
普段は自分がマウンティングをして他人を攻撃していたから、弱味を見せたので仕返しされたのだ……
と、たまたまスクールカウンセラーの方と話す機会があり、その事を話すと面白い事を教えてもらえた。
「仕返しをされた」というのは私でもわかるけど、「何で仕返しをされるのか?」は今まで攻撃していたから。
では「なぜ他人を攻撃するのか?」というと、他人との人間関係を「こっちがやらないとやられる」という認識をしているから。
で、どうなるかというと今回みたいなことがあったら自分が攻撃されるので、ますます「攻撃しないと自分がやられる」という信念を強化していく。
「あぁ、やっぱりそうか」と。
これを繰り返し、攻撃し、攻撃される関係性は終わらない。むしろそんな信念を強化していくそうな。
なんだか残念な職場であるけど、いくら教員とはいえ、「ヒト」であり、闘争本能や防衛本能は押さえきれない。
誰が悪いわけでもない、人間ってこういうものだろうな。
まぁ、世の中こんな感じで回っているのだろう。
この争いを止めることができたのならば、世界平和が実現できそうな気がします。
個人的にはおじさんに攻撃されたこともあるし、攻撃されてしどろもどろになっているおじさんを興味深く観察しているのだけれども、他にも色々と興味深かった。
若い人でちょくちょくマウンティング的なことをしている人がいるけど、彼はこのチャンスを逃すことなくしっかりと仕留めていた。
仕事もできるし、彼は「決めるときには決める人間」のようでした。
もう一点面白かったのが、先代のクレーマーおじさんというか、最近は静かになった人がいるのだけれど、そのお方もついに今回は動きました。
最後のまとめで核心を突くように「ブスッ」と仕留めにかかった。
虎視眈々と狙っていたような質問だった。
ただ、クレーマーおじさんは核心の意味がわからず的外れな回答に終始していたので、「チクッ」とも届いてなかったようだけれど。
先代、不発!!
確実に仕留められると確信していたのか、先代は「この人言っても無駄だわ」と諦めず、仕留めにかかって同じことを繰り返しているのはなかなか滑稽だった。
先代、仕留めきれず!!
という攻防が会議室で月一で行われている本校。
アヒルが水面下で忙しなく足をばたつかせているように、本校も職員会議で大の大人がみっともないくらいにマウンティング合戦を行っているのだ。
ほんと職員会議は忙しい。
ほんと職員会議は楽しい。