マネージャーとプレイヤー
校内で任されている仕事があって、そのことについて。
今年初めてなので、回すだけで精一杯だったが、余裕ができてきたのか、ふと考えた。
当たり前なんですが、マネージャーとプレイヤーは違うということ。
プレイヤーとして、技術を磨きレベルアップをしていくのは当然だけど、それはマネージャーのやることのメインではない。
もちろん、学校現場はプレイングマネージャーとなるので、マネージャー的な思考回路があまり無かったように思えてきた。
自身がプレイヤーとして身につけた技術の伝達や、他の人のスキルの共有化など、個人として成果を求めるんじゃなしに、組織として出力の最適化を図る事が書けていたように感じた。
ハッキリ言って、プレイヤーとして「校内で一番できるとこ」は確実にある。
が、自分一人がすごく出来ていても学校全体としては出力はそんなにないんだなー。
マネージャー業をもうちょい勉強しま、す。
松下幸之助の本でも読んでみよっかなー。
何をやっているのか
正直なところ、自分が何をやっているのか分からなくなった。
どういうことかというと……
いろいろと問題を抱えている生徒がいて、私はその生徒の問題が小さくなるようにと、体をはってその生徒と関わってやっていた。
やらねばならないという、使命感と言うと大袈裟だけど、そんな風に思って頑張ってやっていた。
が、そんなことにたいして「ま、あんなもんやろ」と言われてしまった。
こちらは問題意識を強くもってやっているので、「えっ!? 放置ですか!?」って感じでした。
正直なところ、私が頑張ってやってきたことの成果と思えるようなこともある。
というか、「こうやってやってきたお陰で今があるんですよ‼」くらいに言いたいですが。
が、はたして私がやっていなかったらその成果がないのかと言われると、分からない。
そして、その生徒に関わっているのは私だけでない。
なんというか、「自分だけが頑張っている感」が大きくなってきていた。
自分だけが頑張ってて、他の人はダメ!みたいな。
そうなっちゃうと他の人のいいとこも生かせないので、頑張るのはやーめたっと。
自分が頑張っていなければ、自分だけが頑張っている感は減るだろう。
専門家に聞くと私のやっていることて良さそうである。
が、他の教員全員が私と同じ様にその生徒と関われるかと言うと、そんなことにあり得ない。
良くも、悪くも。
私が100%正しい訳じゃないし、はっきり言って非常に対応が難しい生徒なので、「それができるのは先生しかいない」とも言われた。
いろんな人がいて、その結果本校が成り立っているので、まぁこんなもんなんだろう。
私一人が問題意識を持ってやっていても、大して変わらんのだろうなー。
そして、私自身も周囲に影響を与えるほどの力はないんだなー。
あまりレベルが高いとは言えないですが、これが本校のレベルなんだろうな。
事件は現場で起きてるんだ‼
てなわけで、現場からです。
同僚のやったことが結構まずいです。
そこだけ切り取ったらインターネットのニュースに流れてもおかしくないような言動。
労働災害の件数について、ハインリッヒの法則というものがある。
1件の重大事故の陰には30件の軽微な事故があり、軽微な事故の陰には300件の軽微な異常がある……というもの。
もちろん、教員は人間なのでミスもあるし、後になってまずかったなーと思うことも多々ある。
……が、人災というか、最低でもあれは軽微な事故レベルな気がします。
30回くらいあれが続けばそのうち地雷が爆発してる気がする。
みたいな感じですが、保護者にどこまで伝わって、保護者がどこまで訴えて、管理職がどこまで揉み消せるか……
どうなるか、ある意味で見ものです。
まぁ、「どれぐらいまずいことなのか?」の認識は人によって違うので、あくまで「私」がかなりまずいと思っていることなんですが、同様に感じている人もいるようです。
法律は犯してないし、支持する人もいるようなので、私の思い込みだけで済むといいんですが。
税金は払いましょう
どうも会議が早く終わらない。
というか、この1年以上勤務時間内に終わったことがない。
なぜかというと、「クレーマーおじさん」がいるのだ。
その人は、会議の際には「何かあったら黙っていないからな」というスタンスで、何かを言うことを前提として会議に臨んでいる。
「発言することが目的」の発言というか、自己顕示欲わ満足させるための発言っぽい。
例えば、球技大会の話なんかだと、
おじさん(以下お)「この、教員が審判やるってどんな形なの?」
担当の人(以下担)「試合時間にコートにいて、ジャッジしてもらう予定です」
お「審判やらせるってことは、ちゃんとルールは事前に教員に伝えるんだよね⁉」
担「要項でしっかり示したいと思います」
お「そんな適当でいいんか! 教員にやらせるんならもっと時間も取って説明すべきでしょ!」
担「では、この競技とこの競技のルール説明の文書もつけます」
→仕事が増える。
お「おう、そんならそれでやって」
お「ていうか、そもそも球技大会の審判を教員がやるってどうなの!?」
担「もちろん、生徒が運営できたらいいのですが、今年はこれでいこうと決まりましたので」
お「そんなんでええんか!? そもそも球技大会は生徒のために活動の時間でしょ!? それを教員がやるっておかしいでしょ!!」
→この辺で担当では処理できなくなり、校長が出て来る
校長「言われることはごもっともですが、どうにかやろうとして今の形に落ち着いたので、そこの理解を頂ければと思います」
お「あ、そう。ほんならしゃあないか」
……みたいな。
質問→回答をつつく→さらに回答をつつく……→校長が出てきて。ようやく収集
という流れ。
途中のつついている辺りは、何がしたいかが全く謎のあげ足取り的な脊髄反射の会話。
なので、建設的な意見のやりとりはほとんどない。
回答も理解しようと聞いてないし、資料も大して目を通していない。
で、最後に校長を引っ張り出して満足……みたいな。
先日の会議ではおじさんのターンが30分弱あったかなぁ。
今度、ストップウォッチで測ってみようw
そんな残念な会議をやっていながら気付いたことがあります。
実はそんなクレーマーおじさんですが、本校には1名ではなくもう1名いるんですが、その二人目に関して。
最近、静かなのだ。
特に、例で出したおじさんが元気に喋っているときは発言しないのだ。
会議の際にクレーマーは1名という、暗黙の法則が成り立っていそうです。
二人ともやっちゃうと二人がぶつかるから、本能的に回避しているような気がします。
で、ここからが本題。
「会議にクレーマー1名の法則」に従うと、今うるさいおじさんが静かになると、もう一人のおじさんが元気になる。
ましてやおじさん二人ともいなくなっても、どこからかクレーマーさんは生まれてくるのでしょう。
なので、「クレーマー保存の法則」がおそらく成立しており、会議の際にクレーマーがいないことはない。
……と考えると、クレーマーさんの対応に費やされるエネルギーや、時間は税金のようなもんだ。
学校を運営していく上での税金ですな。
税金はしゃあないから払いましょう。
面子とマウンティングとナワバリ意識
某blogで結果が数字ででない仕事をやっている世界では、面子争いや主導権争いを職場でやりだす……みたいなことがあって、うちの職場にもそんなことやってる人いるなーと思ってましたが、本日直撃を喰らいました。
場は少人数でのミーティング。
そこに面子とか「こうあるべき」とよく言うオジサンがいたのだが……
私の説明が言葉足らずで、結論だけを言ったのも悪かったけど、私主張がオジサンの主張と違っていた。
すると、私の方に向き直ってオジサンは私にたいしてキレてた。
「そんなんはありえないだろ!」と、キレることで自分の主張を通そうとしてきました。
マウンとをとりにきました。
押さえつけてやろうと。
俺のナワバリに口出しすんじゃねぇって感じでした。
自分の意見通りにいかないと、自分の面子が潰されたように感じていそうでした。
もう、そうなっちゃうとその時点で会話は終わりでしょ。
かなーりストレスなんですけど。
生徒のためにどうすればよりよくなるのか、知恵を出しあう場じゃなくなりますよね。
違う意見をすりあわせて、解決策を見いだしていかないといけないんじゃないの!?
こっちだって自分の意見が絶対とは思ってないし。
ミーティングの初めから、オジサンは主導権をとるためなのかずーっと喋っていて、「こいつ、そんなに主導権欲しいのか……」なんて思ってたのが伝わったかな?
でも、これからどうする?という話になったとき、オジサンの主張は現実的に穴だらけだったので、主調しちゃった。
あそこで空気読んで黙っとけば良かったかなあ。
でもやっぱオジサンを自己満足させるためでなくて、生徒のために仕事してるんだから……とか思っちゃうので言ってしまうなぁ。
あぁ、めんどくさいなー。
私は面子やらなんやらは比較的気にせず、「成果」て仕事を考えている部分がある。
が、その面子を軽視するスタンスというか、私が自分の意見を言っちゃうが彼らの気にくわないので、攻撃対象となっちゃうんだろうなー。
ああいう人がいると、めんどくさくなるので誰も意見を言わなくなる。
それが彼らの思うつぼなんですが、嫌な思いをさせられてまで意見を言おうとは思わないなー。
しかも一人じゃないんだよね、ああいう人。
ほんと残念な職場だ。
あんな経験をしたから、自分の意見を言わないとか言っている私も自分の保身を考えているしょーもないやつですな。
同僚に「えぇー、そうですかー!?」とか言って、直撃を回避するのが凄く上手い人がいるが、やっぱ凄いなあ。
まだまだ私は「教員世界の渡り方」が下手だ。
ヨイショしとけば直撃されずに済むかと思って、4月にあのオジサンを何度かヨイショしといたんですが、そんなん関係なさそうでした。
自分の意見を言って、なおかつ直撃を避けるためにはもっともっとへりくだって注意深くやらんといかんのだなあ。
くっそー、甘かった。
この「面子」という概念ですが、実は生徒対応に大事な概念っぽいです。
生徒に好かれる先生のタイプは、「自分の面子にこだわらない」「生徒の面子を立てる」のような気がします。
ていうか、自分の面子にこだわらず人の面子を立てる人は好かれやすい気がする。
それが直撃を避ける技術なのかも。
学校ってなんぼのものか?
学校にはいろいろな生徒がいる。
エンジョイしている生徒、リーダーの生徒、異性にもてる生徒、勉強が得意な生徒……
しかし、それだけじゃない。
学校がキツくて苦しい生徒、いじめにあっている生徒、勉強が苦手な生徒……
そんな生徒に言いたい。
「学校って大したもんじゃないよ」と。
まだ、数年か十数年しか生きてなくて、君は狭い世界しか知らないんだ。
学校の他にいけばもっと楽しく、君が生き生きできる世界があるかもしれない。
ホントに学校なんて広い世界のちっぽけな1部分でしかない。
だから、今上手くいかなくても、この先上手くいかないということが決まったわけではない。
もちろん、人生何があるかわからないので、上手く行くという保証はない。
けれど、「この先も上手くいかないはずだ」と決めつけるのはしないで欲しい。
と、発達障害で日々きつい思いをしている生徒と接していて思った。
ある人に言わせると「学校は最後の共産主義社会」だと。
みんなと違う生徒はすぐに弾かれ、居場所なんてなくなる。
実力主義でない日本の社会も関係していそうですが、そんな学校に不適応な生徒が安心して通える学校にしたいなーと、思っている先生も一応ここにいるんだぞー。