TkMdの日記

忙しさに流されない日々のために。某教員のブログ。

何をやっているのか

正直なところ、自分が何をやっているのか分からなくなった。



どういうことかというと……

いろいろと問題を抱えている生徒がいて、私はその生徒の問題が小さくなるようにと、体をはってその生徒と関わってやっていた。

やらねばならないという、使命感と言うと大袈裟だけど、そんな風に思って頑張ってやっていた。

が、そんなことにたいして「ま、あんなもんやろ」と言われてしまった。

こちらは問題意識を強くもってやっているので、「えっ!? 放置ですか!?」って感じでした。

正直なところ、私が頑張ってやってきたことの成果と思えるようなこともある。

というか、「こうやってやってきたお陰で今があるんですよ‼」くらいに言いたいですが。

が、はたして私がやっていなかったらその成果がないのかと言われると、分からない。

そして、その生徒に関わっているのは私だけでない。



なんというか、「自分だけが頑張っている感」が大きくなってきていた。

自分だけが頑張ってて、他の人はダメ!みたいな。

そうなっちゃうと他の人のいいとこも生かせないので、頑張るのはやーめたっと。

自分が頑張っていなければ、自分だけが頑張っている感は減るだろう。




専門家に聞くと私のやっていることて良さそうである。

が、他の教員全員が私と同じ様にその生徒と関われるかと言うと、そんなことにあり得ない。

良くも、悪くも。

私が100%正しい訳じゃないし、はっきり言って非常に対応が難しい生徒なので、「それができるのは先生しかいない」とも言われた。





いろんな人がいて、その結果本校が成り立っているので、まぁこんなもんなんだろう。

私一人が問題意識を持ってやっていても、大して変わらんのだろうなー。

そして、私自身も周囲に影響を与えるほどの力はないんだなー。

あまりレベルが高いとは言えないですが、これが本校のレベルなんだろうな。

事件は現場で起きてるんだ‼

てなわけで、現場からです。

同僚のやったことが結構まずいです。

そこだけ切り取ったらインターネットのニュースに流れてもおかしくないような言動。



労働災害の件数について、ハインリッヒの法則というものがある。

1件の重大事故の陰には30件の軽微な事故があり、軽微な事故の陰には300件の軽微な異常がある……というもの。



もちろん、教員は人間なのでミスもあるし、後になってまずかったなーと思うことも多々ある。

……が、人災というか、最低でもあれは軽微な事故レベルな気がします。

30回くらいあれが続けばそのうち地雷が爆発してる気がする。

みたいな感じですが、保護者にどこまで伝わって、保護者がどこまで訴えて、管理職がどこまで揉み消せるか……

どうなるか、ある意味で見ものです。

まぁ、「どれぐらいまずいことなのか?」の認識は人によって違うので、あくまで「私」がかなりまずいと思っていることなんですが、同様に感じている人もいるようです。

法律は犯してないし、支持する人もいるようなので、私の思い込みだけで済むといいんですが。

魔法の言葉

落ち込んだ生徒が元気を取り戻し、勇気付けられる。

そんな、先生からの魔法の言葉……




そんな魔法を使えたらいいなあと思う今日この頃。

ですが、別な意味で魔法の言葉を見つけてしまいました。

その言葉は「去年と一緒で」です。

大体学校でやってることは毎年同じなので、何かの係りが当てられた場合に使える魔法の言葉。

大体の人は去年やったことなんて覚えてないので、「ああ、そうか」と流してくれる。

一方で変えるとなると、資料をつくって、根回しして、会議で提案して、クレーマーおじさんの相手して……と、相当に手間がかかる。



「去年と一緒で」。

ああ、なんて素晴らしい言葉なんでしょう!

税金は払いましょう

どうも会議が早く終わらない。

というか、この1年以上勤務時間内に終わったことがない。

なぜかというと、「クレーマーおじさん」がいるのだ。

その人は、会議の際には「何かあったら黙っていないからな」というスタンスで、何かを言うことを前提として会議に臨んでいる。

「発言することが目的」の発言というか、自己顕示欲わ満足させるための発言っぽい。

例えば、球技大会の話なんかだと、

おじさん(以下お)「この、教員が審判やるってどんな形なの?」

担当の人(以下担)「試合時間にコートにいて、ジャッジしてもらう予定です」

お「審判やらせるってことは、ちゃんとルールは事前に教員に伝えるんだよね⁉」

担「要項でしっかり示したいと思います」

お「そんな適当でいいんか! 教員にやらせるんならもっと時間も取って説明すべきでしょ!」

担「では、この競技とこの競技のルール説明の文書もつけます」
 →仕事が増える。

お「おう、そんならそれでやって」

お「ていうか、そもそも球技大会の審判を教員がやるってどうなの!?」

担「もちろん、生徒が運営できたらいいのですが、今年はこれでいこうと決まりましたので」

お「そんなんでええんか!? そもそも球技大会は生徒のために活動の時間でしょ!? それを教員がやるっておかしいでしょ!!」

→この辺で担当では処理できなくなり、校長が出て来る

校長「言われることはごもっともですが、どうにかやろうとして今の形に落ち着いたので、そこの理解を頂ければと思います」

お「あ、そう。ほんならしゃあないか」


……みたいな。

質問→回答をつつく→さらに回答をつつく……→校長が出てきて。ようやく収集

という流れ。

途中のつついている辺りは、何がしたいかが全く謎のあげ足取り的な脊髄反射の会話。

なので、建設的な意見のやりとりはほとんどない。

回答も理解しようと聞いてないし、資料も大して目を通していない。

で、最後に校長を引っ張り出して満足……みたいな。

先日の会議ではおじさんのターンが30分弱あったかなぁ。

今度、ストップウォッチで測ってみようw



そんな残念な会議をやっていながら気付いたことがあります。

実はそんなクレーマーおじさんですが、本校には1名ではなくもう1名いるんですが、その二人目に関して。

最近、静かなのだ。

特に、例で出したおじさんが元気に喋っているときは発言しないのだ。

会議の際にクレーマーは1名という、暗黙の法則が成り立っていそうです。

二人ともやっちゃうと二人がぶつかるから、本能的に回避しているような気がします。



で、ここからが本題。

「会議にクレーマー1名の法則」に従うと、今うるさいおじさんが静かになると、もう一人のおじさんが元気になる。

ましてやおじさん二人ともいなくなっても、どこからかクレーマーさんは生まれてくるのでしょう。

なので、「クレーマー保存の法則」がおそらく成立しており、会議の際にクレーマーがいないことはない。

……と考えると、クレーマーさんの対応に費やされるエネルギーや、時間は税金のようなもんだ。

学校を運営していく上での税金ですな。

税金はしゃあないから払いましょう。

面子とマウンティングとナワバリ意識

某blogで結果が数字ででない仕事をやっている世界では、面子争いや主導権争いを職場でやりだす……みたいなことがあって、うちの職場にもそんなことやってる人いるなーと思ってましたが、本日直撃を喰らいました。

場は少人数でのミーティング。

そこに面子とか「こうあるべき」とよく言うオジサンがいたのだが……

私の説明が言葉足らずで、結論だけを言ったのも悪かったけど、私主張がオジサンの主張と違っていた。

すると、私の方に向き直ってオジサンは私にたいしてキレてた。

「そんなんはありえないだろ!」と、キレることで自分の主張を通そうとしてきました。

マウンとをとりにきました。
押さえつけてやろうと。
俺のナワバリに口出しすんじゃねぇって感じでした。
自分の意見通りにいかないと、自分の面子が潰されたように感じていそうでした。

もう、そうなっちゃうとその時点で会話は終わりでしょ。

かなーりストレスなんですけど。

生徒のためにどうすればよりよくなるのか、知恵を出しあう場じゃなくなりますよね。

違う意見をすりあわせて、解決策を見いだしていかないといけないんじゃないの!?

こっちだって自分の意見が絶対とは思ってないし。

ミーティングの初めから、オジサンは主導権をとるためなのかずーっと喋っていて、「こいつ、そんなに主導権欲しいのか……」なんて思ってたのが伝わったかな?

でも、これからどうする?という話になったとき、オジサンの主張は現実的に穴だらけだったので、主調しちゃった。

あそこで空気読んで黙っとけば良かったかなあ。

でもやっぱオジサンを自己満足させるためでなくて、生徒のために仕事してるんだから……とか思っちゃうので言ってしまうなぁ。



あぁ、めんどくさいなー。

私は面子やらなんやらは比較的気にせず、「成果」て仕事を考えている部分がある。
が、その面子を軽視するスタンスというか、私が自分の意見を言っちゃうが彼らの気にくわないので、攻撃対象となっちゃうんだろうなー。

ああいう人がいると、めんどくさくなるので誰も意見を言わなくなる。
それが彼らの思うつぼなんですが、嫌な思いをさせられてまで意見を言おうとは思わないなー。
しかも一人じゃないんだよね、ああいう人。
ほんと残念な職場だ。

あんな経験をしたから、自分の意見を言わないとか言っている私も自分の保身を考えているしょーもないやつですな。



同僚に「えぇー、そうですかー!?」とか言って、直撃を回避するのが凄く上手い人がいるが、やっぱ凄いなあ。

まだまだ私は「教員世界の渡り方」が下手だ。

ヨイショしとけば直撃されずに済むかと思って、4月にあのオジサンを何度かヨイショしといたんですが、そんなん関係なさそうでした。

自分の意見を言って、なおかつ直撃を避けるためにはもっともっとへりくだって注意深くやらんといかんのだなあ。

くっそー、甘かった。



この「面子」という概念ですが、実は生徒対応に大事な概念っぽいです。

生徒に好かれる先生のタイプは、「自分の面子にこだわらない」「生徒の面子を立てる」のような気がします。

ていうか、自分の面子にこだわらず人の面子を立てる人は好かれやすい気がする。

それが直撃を避ける技術なのかも。

学校ってなんぼのものか?

学校にはいろいろな生徒がいる。

エンジョイしている生徒、リーダーの生徒、異性にもてる生徒、勉強が得意な生徒……

しかし、それだけじゃない。

学校がキツくて苦しい生徒、いじめにあっている生徒、勉強が苦手な生徒……

そんな生徒に言いたい。

「学校って大したもんじゃないよ」と。

まだ、数年か十数年しか生きてなくて、君は狭い世界しか知らないんだ。

学校の他にいけばもっと楽しく、君が生き生きできる世界があるかもしれない。

ホントに学校なんて広い世界のちっぽけな1部分でしかない。

だから、今上手くいかなくても、この先上手くいかないということが決まったわけではない。

もちろん、人生何があるかわからないので、上手く行くという保証はない。

けれど、「この先も上手くいかないはずだ」と決めつけるのはしないで欲しい。



と、発達障害で日々きつい思いをしている生徒と接していて思った。

ある人に言わせると「学校は最後の共産主義社会」だと。

みんなと違う生徒はすぐに弾かれ、居場所なんてなくなる。

実力主義でない日本の社会も関係していそうですが、そんな学校に不適応な生徒が安心して通える学校にしたいなーと、思っている先生も一応ここにいるんだぞー。

どこまでが「学校」の仕事ですか?

校内でいじめがあったことが判明し、偉い人が謝罪する姿がTVで流れていた。

なんか、謝罪したら責任あるって感じが一気に高まるな。


そんな姿を見ながら思ったのは、「いじめがあったことの責任」って学校にあるの!?

ということ。

そんなこと言われても無理だぞ。

もちろん、あってほしくないし、見つけたら止めに入る。

けど、そんなん全部コントロール出来るわけないでしょ。

学校の関係するところで起こった問題は学校や教員の責任……みたいな、問題のすり替えと責任の押し付けがあっているような気もする。




以前、中学校に見学に行かせていただいたことがある。

その学校は「いじめをなくす」ことを全校の取り組みとしてやっているようだった。

が、非常に違和感を感じた。

戦時中の「戦争に反対するやつは非国民」的な、「いじめをする生徒は非国民」みたいな、全体主義的な空気を先生方が頑張って作っているようだった。

不登校の生徒の25%くらいは教員が原因らしいが、あんな空気なら学校に行きたくない生徒もいっぱいいるだろうなーと思った。

もちろん「本校はいじめ撲滅に取り組んでおり、いじめ0です!!」みたいな優秀な学校です。

「教員の指導力」が「生徒をどれだけ言うことに従わせるか?」みたいな、そんな空気も感じた。

そんな中で先生がいじめをなくそうと頑張れば頑張るほど、不登校の生徒が増える……みたいな。

ま、いじめで大問題になるなら不登校の生徒が数人増えた方が問題にならないですから。

しかも、不登校って因果関係がはっきりしない場合も多いし、家庭環境やら本人の特性やら学校ではどうしようもないことが原因らしい場合も多いので、まだどうにかできる(と勘違いできる?)いじめの方に力を注ぎますよね。

ていうか、不登校の生徒が数人出るくらいしないといじめも減らせないでしょうし。

私立はクビにできるんでしょうけど、公立は基本的にいじめる人間だろうが、不良だろうが、悪魔だろうが受け入れないといかんですからね。



それと、「どこまで学校が関わるのか!?」っていうことも考えさせられた。

「生徒のため」という大義名分でなんだか無限にやらされている気がする。

校内でいじめがあったら対応するのは仕事だと思うけど、では校外で校内の生徒同士でのいじめなら?

校外で生徒と生徒じゃない人のトラブルは?

生徒のすることならプライベートどこまでも入っていくの?

とか。

まあ、慣習的に学校が関わっていたので続いているだけかもしれませんが。

今みたいな何でもかんでも的な関わりかたなら、もっと教員の人数を増やして負担を軽くしほしい。

ま、個人的には小さな政府ならぬ「小さな教員」となって欲しい。
もっと分業化して教員ではなく、スクールポリス、スクールカウンセラー、スクールドクター、スクールスポーツコーチ……という人をどんどん学校に入れてほしい。
現状は何でもかんでも教員がやっているけど、はっきりいって教員だって人間ですから、何でもかんでも出来るわけない。
学校に行きたくない生徒を作っているのも教員ですから。

授業をする能力で採用しているんだから、もっと授業をすることに力を注がせないと結構な損失だと思う。

ていうか、もっと授業の準備する時間欲しいw





というわけで、何でもかんでも先生の責任とされている現状を緩和するには、単純に人手を増やすか、専門家を増やすか(雇うか)が解決策だと思う。

どっちにしろ、人を増やすので金がいる。

教育は金だー。

金がすべてだー。




なんという元も子もない結論なんだ。