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TkMdの日記

忙しさに流されない日々のために。某教員のブログ。

内省と成長

ある人がふと言っていた。

別の人について「内省しないから成長しないんだよねー」と。

そんなこと考えたことなかったけど、そういう視点をもっていろいろ見てみると発見があった。



「若いうちに沢山失敗した方がいい」の意味。

失敗して上手くいかないと、立ち止まってあれこれ考え、内省の機会となる。

なので、失敗は内省を生み出し、その結果成長するということなのだろう。

人のことをしょっちゅう非難している人が未熟なのは当たり前。。。。かな。



私自身は10代後半にかなり大きな失敗の経験があって、数年間引きずった。

原因を探し、内省し、勉強し、、、ひたすら足掻いた。
真っ暗闇のなかで手探りしながら足掻いた。

この経験により考え方、技術、もののみかた、など大きなものを得ることが出来ていたようだ。

思っていたより大きかったっぽい。と、今更ながら思った。


エリートが打たれ弱いって、こういうことやってないからなんでしょうな。



まぁ、失敗するにしろしないにしろ内省しない人は変わらんのだろうなー。


内省しない人と人の話を聞かない人は重複している気がしますが、どちらも苦手です。

苦いぞー

なかなかいろいろと難しいこともある現場。

とある生徒が難しい状況のようだ。

雪だるま式に(?)劣等感コンプレックスが大きくなってしまい、かなり拗れているようだ。

拗れてるし、病んでるし、痛いことしちゃうし、いろいろと上手くいかないし……みたいな。



という生徒を見ながら思った。

「気持ち、解るぞー!!」

てゆーか、その「痛い行動」やっちゃったことあるし、上手くいかなかったし、拗れてて、病んでたし。




「理解者」には相当になれそうですが、自分の黒歴史を見ているようで、だいぶ苦い。

私はコンプレックスがあったお陰で頑張れて、今の自分があるんですが、苦いぞー。



周りから見て、分かりやすい・分かりにくいの差はあるにせよ、みんなコンプレックスと付き合いながら生きているんだろうな。

勝負にならない

先日、ある国の教育現場の話を聞く機会があった。

今の職場と比較すると、人も物も比べ物にならないくらいに潤沢だった。

そして、授業の中身も10年は先を行っているようだった。


……そんな環境で育った生徒とウチの生徒が勝負したら勝てるわけがねぇ。

こっちは人も物も足りないんですからね。

足りない分は我々の体を張ったマンパワーで乗り切る‼……みたいな


国が教育にかけるお金の違いをまざまざと見せつけられた気がします。

日本は経済大国と思ってますが、おカネはどこに使っているんでしょうな?

「今より予算削減」という声もあるくらいですが、外国と勝負するなら教育にお金をもっとかけないと無理だよなー。


日本ならあのレベルの教育は有名私立校なんだろなー。

教育は金。金。金……


と、まあこれからの日本はどうなっていくんでしょうな。

吹き溜まりの中でサバイバル

心身ともに調子を崩した同僚が数名出てきた。



やっぱり職場環境は悪いんでしょうな。

環境だけでもないだろうけど、間違いなく「良くはない」よね!?

転勤早々「何なの!?この吹き溜まりは!?」と、おっしゃった方もいたらしいし。

「残念な人」が多くて、「協力して頑張っていきましょう」みたいな空気ないし。

「自分の半径50cmしか考えていない人」がこうも多いと、全体として職員同士の繋がりが切れてくるんだろうな。

「半径50cmしか考えていない人々」のお陰で、もっと半径の大きい人達に負担がかかり、そのお陰で周りの事も考えれる人々が疲弊し……みたいな。



私自身も体調が良くなかったりするので、全然他人事じゃないし、このまま雪崩的にどんどん倒れていきそうな気がする。



もう、職場でやっているのは「教育」ではなくて、「どうやって生き延びるか」のサバイバルの様な気がする。

某企業では当たり前のように精神安定剤を飲みながら働くようなので、そもそも働くということはこんなもんかもしれませんが。

「自身の健康を犠牲にしながら働く」なんてこんな給料では到底割に合わないぞー。



てな訳で、半径50cm人間がここにも誕生w

評論家はいらない

昔の恨みやらなんやらを思い出してしまった……


昔、私が若くてぴちぴちしていた頃。

そんな私に「正論」ばかり言う先生がいた。

自分は立場やらなんやらを殻にして、「安全な場所」から口を出すのだ。

「正しいこと」を。具体的解決案はなく。

自分は絶対に安全な場所で身を守りながら。

こっちは現場で身体張ってるんだけど。

……みたいな人に大分苦労させられた。



「正しいこと」しか言わなければ自分は痛い思いはしませんからね。


評論家はそれでいいかもしれませんが、現場ではそれより実践力が必用でしょ。



先日、打ち合わせをしていて、「正しいこと」は出てきた。

が、「誰が、いつ、どうやって」といった発想は誰もその場でしていないよう。

なので「で、明日から具体的にどうすんの?」がないまま終わりそうだったので、つい口を挟んでしまった。

「いやいや具体的に何かないと何も変わらないでしょ!?」って、突っ込んでしまいそうだった。

正しいことが出てきたらそれで満足なのか、単に思考が停止しているのか。



今の職場には「正論を言っていればいい」みたいな人が結構いて、「問題解決」なんて考えない空気というか、そんな雰囲気がある。

職場が悪いのか、教員していたらそうなってしまうのか、地域性なのか……


まぁ、いいや。

とりあえず、具体策下さい。

秋だなぁ……

朝晩の冷え込みも強くなってきて、そろそろ冬の足音も聞こえるかな……というこの頃。




教室で前後に座り、勉強をする二人。

女子生徒が男子生徒に教えている。

「んー、わからーん」。

「えー、それはこうでしょー」。

そんな会話をしながら、微かに漂う「二人の空間」感。

「淡い恋の芽生え」を見ているような、甘酸っぱい感じ。



もげろ。



とは言ってませんよ!?

「あぁ、青春の1ページだなぁ」とほんと、見ているこっちが甘酸っぱくなりました。

両方の生徒をよく知っているし、両方とも「いいやつ」なので、つい感情移入?してしまった。

いいねえ、青春。



今の職場はある意味非常に厳しく、荒涼とした砂漠で日々サバイバルしているような生活なので癒しをもらいました。


とか言いつつ、実は私自身はそんなことがなかったので、今更ながら羨ましかったりして。

大きな赤ん坊

オムツを変えてほしい時、あやしてほしいとき、赤ん坊は泣き周囲に訴える。

「面倒をみてくれ」と。

 

今の職場にはそんな「大きな赤ん坊」がいるようです。

周囲がオムツを変えたり、お乳を飲ませたり、あやしてくれるのを待っている。

泣いたりぐずったりしながら。

本人は「やってもらって当然」と思っているので、面倒がみてくれていないと、言動がエスカレートしていき、現実逃避的な大演説となったりする。

 

「別に大人の面倒をみるために教員になったんじゃないし」などといいつつ、私は大きな赤ん坊からは距離をとっている。

あの人に対してどうこうするとか、そんな愛情やら器やらありましぇーん。

エネルギーがどんどん吸い取られますからね。

 

しかし、非常にあやすのが上手なベテランの先生もいる。

赤子を上手にあやすような自然な対応。

「母や強し」です。

私なんぞは足下にも及びませんです。

 

 

ま、そういった大きな赤ん坊が減ってくれば職場環境も良くなってくるんでしょう。

オムツを換える労働がなくなるので、余裕もできるでしょう。

 

オムツを換えるほどのことはあまりないと思うが、日々いろんな面でお互い様での支え合い、交流はだいじにしたい。

私自身が周囲の方々に面倒をみてもらいながら働けていることも、しっかりと覚えておきたい。

 

 

 

…こんなことをかんがえながら、少しずつ職場は変わってくるのだろか。