TkMdの日記

忙しさに流されない日々のために。某教員のブログ。

偉人。。。

今の同僚で何人か「偉い人」がいる。

 

何が偉いかって、やたらと生徒に対して上から目線。

口を開けば生徒をディスる言葉の数々。

生徒をしかるというよりかは、自分の感情にまかせて八つ当たりに近いんじゃないかと思うほど。

 

もう、横にいるだけでこっちのエネルギーが吸い取られますw

 

「高圧的な態度で強く言うのが唯一の指導法」みたいな感じ。

教育的効果なんて言葉ご存知ないですよね!? みたいな。

まあ、50代の方々なので、「そういう時代」に教員してきたのでそうなっている部分もあると思いますが。

 

「実録!職場の偉人列伝!」みたいなことにまとめてみると、なかなかのもんになりそうだわ…

 

もー、ホント何であんなに偉いのか理解不能。

あれほどにまで生徒をこき下ろして維持しなければならないのは、プライドなのか何なのか。

面と向かってあれほど言えちゃう強さは私には無いですよ!?

 

しかし、今の職場は「オジサン」のレベルが相当に高い(マイナスの意味で)。

「でもしか」で教員になったんだろうけど、ホント勘弁してくれー。

週休1日

先日、文部科学省から部活動にかんする指針が出された。

 

「週に1日は休養日とする」らしい。

 

それに対して、部活動の問題について取り組む教員の代表?は

「こういった発表がなされたことは進歩だ。ただ、あくまでも指針なので実効性に疑問が残る」

みたいなコメントがニュースであった。

個人的にも現場では何も変化ないですし。

 

しっかり疑問残ります。

 

 

しかし、なかなか文部科学省も難しそうだ。

建て前としては「児童生徒のため」といわねばならんけど、実際は教員の負担軽減のための発表だと思う。

 

教員の精神疾患は他の職業と比べて多みたいですし(というか、10年くらいで急増らしい)。

 

 

 

ふと、思い出した。

 

 

月に部活動がメインで150時間以上の時間外労働をして、疲労困憊で自動車事故を半年で3回起こしてしまった方がいた。

部活に休みはあって月に1日程度らしい。

 

その方の現場は少しは休めるようになっただろうか。

家族の方の話をきいて、命の危険を感じたが…

 

 

 

個人的には部活動なんてなくなってしまえと思っているので(地域スポーツクラブになってほしい)、これが縮小→消滅への大きな流れになるのかは見守っていきたい。

ジャンキーにおすすめのドラマ

先日、生徒たちから感動をもらうような出来事があった。

「感動のドラマ」だった。

 

それだけで「明日も仕事頑張ろう」と思えた。

普段は仕事やら職場やらに対して愚痴やら不満ばかりですが、それも吹き飛んでしまうくらいの感動だった。

 

で、ふと思った。

 

キツい、辛い、うまくいかないこと、理不尽なことも日々ある。

が、たまーに「いいこと」がある。

そしてその味をしめると次回の味を求めて…

という日々。

 

 

それは、禁断症状に悶えながら、一発キメてハイになっている薬物中毒者と大して変わらないのではないかと思った。

 

教員という人種の一部は「やってて良かった」という「強烈な快感」によって生きているジャンキーのような気がします。

 

 

日々、ドラマがあるので、ある意味でやっていけているのかもしれない。

 

 

ただ、ドラマと一口に言っても「涙と感動のストーリー」とも限らず、「シュールな社会派」も多いし、「ヤマなし、オチなし、悪評に終わる」ドラマもある。

 

そのドラマの脚本や演出を担当できることもあるかもしれないし、「通行人A」程度の出演の場合もある。

 

「人生のドラマに関わる」、「人生のドラマの近くで生きる」。

幸せなことに、教員とはそんな仕事かもしれない。

 

 

ただ、近頃の私自身は「シュールな社会派」への出演機会が増えているので、その世界での体力というか耐性というかそんなものの必要性を感じる今日この頃。

 

期していない「よい世界」もあったりするが、現実は「想像以上に過酷な世界」だったりするようです。

 

 

…いいタイトルが思いついたけど、本文は大して関係のない内容になっちゃったな。

では、どうするのか!?

先日の部活についての記事を書いて、気がついた。



平日は12時間以上働き、それでも間に合わず休日に出勤したりしている。

それでも周囲からは「他の仕事もやらせたい」という圧力があり、どんどん断らないとさらに仕事が増えていく。
校長は「それが教員世界の悪いところ」といっていたけど。


で、どうなっているかというと、授業のクオリティが上げられない。

というか授業の準備が一番後回しになっている。

燃え尽きてやる気が無くなってきている。

言葉が悪いが、授業はある程度「誤魔化すこと」ができる。

が、校務は誤魔化すことが出来ないものも多い。

17時には帰る同僚やら、上司やらに文句を言われるくらいなら「授業を良くしよう」より「ネチネチ言われないように」を優先している自分もいる。



そんな状況もあるが、今ある意味で試されているような気がする。

何を大事にし、何を一番に考え、そして、どうしていくのか。

それが問われているような気がする。

優先順位をつけ、出来ないことは出来ないとはっきり言わないと自分の大事にしたいことは大事に出来ないんだなぁ。

身体は一つなので、自分のできることは無限ではない。




ただ、難しいのが教員の仕事で「出来ない仕事」ってあまりなくて、時間をかけてやればできるものも多い。
「そんなん、やるだけじゃん」などと思っているのでどんどん回ってくるし、引き受けちゃうんだよな……

しかも、考えようによっては決して良くはない授業でしょうけど、そんなに問題になっていないということは、別に「良くしなければならない」訳でもないのかもしれない。

なので、考えようによっては「何をやっても良い」状態なのかもしれない。

授業に力を入れたければ、授業でいいし、校務に力を入れたければ、校務ていいし、部活に力を入れたければ、部活でいいし、その他のことでもいいのだろう。

教員になったときには「やりたいこと」があったが、もう大分忘れてしまった。

あの時の熱意やら目標を。




そんな目標もなく、ただ日々をこなし、流れていく日々。

どこへ向かうのか。

そんなことは分からない。

ただ、目の前の少しのことでも生徒のためになればやっていきたいと思う。



「出来ない理由」はいくらでもある。

「やろうと思えばやれる時間」もいくらでもある。

仕事がどうこうよりも、「どう生きたいのか」にも関わってくるんだろうな。


とりあえず、無理をして体と心は壊さないように気を付けよう。

例の効果音

以前先輩が言っていた。

「最近はレベルアップの効果音が聞こえにくくなった」と。

 

先日、「せっかくだから挑戦しないともったいない」という知人の話をきく機会があった。

その人は新しいことにチャレンジして、資格も取ったらしい。

 

 

振り返って、私自身は…と考えると最近は日々を回すことで精一杯。

 

今よりも少し若かった頃は「自分、レベルアップしたな」と思うことがもうちょいあったような気がします。

 

「レベルアップの効果音」が聞こえることがあったんですが…

 

最近は「挑戦」が減っているせいなのか…

ある程度安定して回せる力量がついたのか…

 

はたまた、単に成長していないだけなのか。

 

 

実際のところわかりませんが、知人にはいい刺激をもらった気がします。

 

生徒の成長速度に負けないよう、レベルアップしたいと思います。

 

仕事が集まる理由

先日、「書類で教育しているんじゃない」みたいなことを書き散らしたけど、二三日考えて実は効率のよいやり方のような気がしてきました。

 

かと言って、書類作成が苦手なことには変わりないのですが。

 

それはまたの機会に。

 

 

 

今日、同僚と会話していて「特定の人に仕事が集まる理由」の一つが分かったきがします。

 

「育てている暇などない」んです。

 

本人の能力、やる気、適性…

 

それだけではないようです。

 

学校の中はいろんな仕事があり、もちろん初めて担当する人もある。

 

と、なると以前の担当がやってしっまう方が早い事が起こってくる。

そして、前述の言葉。

 

 

人を育てる暇がない→できる人がやる→人が育たない…の無限ループ。

 

 

今の時代、別に学校だけではなくて、多くの組織で課題となっていそうな事のように思いますが。

 

 

構造的な問題なのか、忙しすぎるだけなのか、なんなのかよくわかりませんが、とりあえず「人を育てる」というのはつくづく難しいことだなあ。

 

基本的に時間がないと難しいことのようです。

 

事件は会議室で起こっているんじゃない‼

てな訳で🌑島さんの名台詞。

年度も変わり、あっちやらこっちやらに提出する「書類仕事」に嫌気が差してきました。

書類仕事があることも、嫌気が差していることも、毎年のことですが。


……で、例の台詞が頭をよぎりました。

「書類で生徒を育てているんじゃない‼」

みたいな。



何でかなーと、考えて少し分かったような気がします。

それは、「縦社会」が原因ではないかと(公立学校ですので)。

地方自治体の教育委員会は大元の「中央官僚(省庁?)」の命によって動いていく。

「中央官僚の方々」は現場の状況をどうやって知るのか? ……と考えると、書類で上がってきたものでしょう。

「事件は会議室で起こっているんじゃない」としても、「会議室のなかで生きている人々」にとっては「書類で報告されたことが大事」でしょう。

「仕事=書類を作ること」の方も多くいるでしょうし。

効率良く中央集権体制でやっているんだから、いちいち時間を割いて現場を見るなんて、中央集権体制の意味がないでしょう。

現実的に不可能ですし。


昔、「書類に細かい上司」に苦労し、「何でこんなことに拘るのか?」と理解不能でしたが、ようやく分かったような気がします。

「書類が占めるウェイトの大きい世界」で生きている人々にとっては「書類がちゃんと出来ていない」ことは、「何も売れていない販売業」のようなものでしょう。

もちろん、そうでない方も多くいるでしょうし、私自身が「書類作成が嫌い」な人間なので、ひがみやら恨みやらが相当に入ってますけど。

というか、「じゃあ、他にどうやって報告するのか?」と問われると、「書類です」という答えしかないんですがw



「書類を作る」のは大人に対する仕事。

そんなことをしたところで「子ども」に対して何もないでしょ。

……などと思ってしまう私は実に青臭い教員だな。

「巡りめぐって生徒に返ってくる」と何度か聞いたが、書類作りは苦手だし、嫌だー。